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Daily TSUMURA 活動日誌 2004年 2月1日〜6日


 2/6(金)

朝8時半、国会事務所に出勤し、「党改革アンケート」や「初めての国会質問に関するマスコミ報道について」などのレポートをまとめる。9時過ぎに出発。

9時50分発の新幹線のぞみ号で、岡山へ。途中、関が原付近で雪のため遅れたが、なんとか岡山に帰りつき、予定どおり「快速ことぶき号」に乗って津山へ。

14時半に津山に着き、懇意にして頂いている権田市議と携帯で連絡。待ち合わせ場所を決め、15時前に津山市役所へ。
権田さんの紹介で、まず、河本、武本両市議に挨拶。その後、中尾市長と約15分面談し、記者クラブや市職員の組合、森西市議会議長、総務課等を次々と訪ねてご挨拶。市長のお部屋では大名行列の焼き物など歴史的な文化財も拝見し、祖父から教わった津山の郷土史の知識が役に立つ場面も。津山城址で進められている備中櫓の再建プロジェクトについてもお話を伺った。また、津村の初めての国会質問で農業共済の話を扱ったことに関連し、県北の大豆農家の事情等についても情報交換ができた。

17時半、権田市議を弁士とする「津山市政報告会」が美作教育会館で行なわれる。
祖父が仲間の皆さんとともに建設した建物で、小学校の時から何度か訪ねてきた場所だ。今でも祖父の描いたダルマの水墨画が懸けられている。今日の津村は、権田報告の前に来賓としてお時間をいただき、5分ほどスピーチ。小林ひさお岡山市議も参加され、アットホームな雰囲気を共に楽しんだ。3F。

 市政を共に語り合おう
 

18時半、同じ教育会館の建物の2Fに降りて、「津村啓介代議士の当選を祝う会」。
祖父が長年お世話になった県教組美作支部の皆さんの計らいで、祖父と一緒に働いた20名ほどの方が県北全域から集まってくださっての食事会。
権田さんはじめ、関係各位のお気持ちが痛いほど嬉しい。スピーチでも少し触れたが、この会は津村のために開いて頂いたという以上に、この4月で一周忌を迎える亡き祖父を皆さんが偲んで下さったんだという気がしている。泣いて下さる方もあった。素敵な仲間とともに長年仕事に打ち込んだ祖父が羨ましい。
目標である。何人かの方々から祖父の遺稿である回想録『職三昧』の活字化を提案して頂いた。伯父たちや母に相談させて下さい、とお答えした。ともあれ、嬉しいこと。祖父のダルマの水墨画とともに、全員で記念撮影。お寿司

その後、場所を移して二次会に連れて行って頂いたら、津村が小さい時から何度も食べに行っているお寿司屋さんだった。
おかみさんは、津村を小学生の頃からご存知。皆さんがそのことを喜んで下さり、おかみさん&ご子息の板前さんと記念撮影。先輩に、ご挨拶を兼ねてさらにもう一軒連れて行っていただき、思い出に残る印象深い夜が更けていった。



 2/5(木)

朝7時05分発の新幹線のぞみ号で、上京。車中は爆睡。本当は読書の時間に充てたいと思い、本も大量に購入しているのだが、どうにも眠い。東京駅には10時半に着いた。

11時、国会事務所に到着。日程を確認し、書類を整理したのち第一議員会館へ。

11時半、民主党の総務局長を務める、鉢呂吉雄代議士と個人面談。
秘書給与や会計処理等につき、厳格な運用を徹底する民主党の方針を改めて伺い、逆に質問も多数させていただいた。一部は持ち帰って確認していただく。新人議員への指導の一環ということのようだ。

12時すぎ、やや遅れて「国のかたち研究会」に出席。
時節柄か、議員年金や憲法改正について密度の濃い意見交換がなされた。様々な世代の議員が参加されており、それぞれ特色ある意見を述べられる。自分とは違う発想を見つける良い機会である。13時前に終了。今日はいつもと違う会場だった。

14時、衆議院本館第四控室で、民主党の代議士会。
イラクへの自衛隊派遣承認を巡る国会空転につき、国対幹部から経緯の説明を受ける。正直新人には分かりにくい話も多いが、物事が決まっていく生のプロセスを間近で見聞きするのは本当に濃ゆい勉強になる。変えてはならないものと、変えなくてはならないものの区別を見極めていきたい。30分弱。

15時、国会事務所でデスクワーク。

17時過ぎ、財務省の担当課長が来訪し、所得税法の一部改正案についてレク。
年金関連のテーマに注目が行き勝ちだが、実はこの法案の随所に政策判断を要する哲学的なテーマが数多く隠されていることが理解できた。担当課長に遠慮なく質問をぶつけてみたところ、一部は後日回答いただくことになった。→「ひとこと

19時、赤坂の中華料理屋さんで、国対役員と国対委員の合同懇談会。
国対については、津村は金曜日担当の「三班」所属だが、昨日の玉野日程で「三班」の懇談会に出席できなかったため、お隣の「二班」に懇談会に混ぜて頂いた。千葉や福岡など民主党が大躍進した県の新人代議士が多く、皆さんの挨拶にも勢いがある。岡山も負けてはいられない。

同じ青山宿舎の村越君の運転で、高輪の楠田君を送りつつ、帰る。夜半過ぎまで村越ルームにお邪魔し、リラックスしながら意見交換。



 2/4(水)

朝9時過ぎ、国会事務所に出勤。
次の予定をご一緒するため、第一議員会館の仙谷由人代議士の部屋へ。仙谷さんの事務所はいつも大勢の方が行列をなして順番待ちをしている。憲法改正を巡る議論の中心人物の1人。民主党中四国ブロックのリーダーの1人でもいらっしゃる。10分ほど打ち合わせ。

10時、仙谷さんと一緒に車で金融庁へ。
生保の銀行窓販の問題について、民主党の先輩議員たちとともに、三国谷審議官と面談。枝野政調会長や佐藤観樹代議士も参加。津村からは、以下の二つの指摘を行った。

(1)相次ぐ取扱商品の拡大により、銀行窓口の現場では商品性の理解、研修スケジュールにタイト感が強まっているのが現実。消費者とのトラブル増加も懸念されている。こうしたリスクを回避するには、「事後規制」型行政の徹底に相応しい人員の配置が必要となるはずだが、現状の保険課プラス財務局の陣容では十分とは思えない。定員増などの新たな措置が講じられないのであれば、「事後規制」など絵に描いた餅ではないか。

(2)低金利政策の長期化により、生保業界の体力は制度改正が検討された当初の想定を越えて低下している。この種の制度変更は金融・経済情勢を睨みながら行わなければ、日本の金融産業の基礎体力を低下させ、いたずらに国益を損ねる可能性がある。“金融産業政策”の視点に立って、議論を整理してほしい。

11時すぎに、国会事務所に戻り、「党改革に関するアンケート」への回答を執筆。→「ひとこと
14時過ぎの新幹線で岡山へ帰る。車中では、とにかく眠り続けた。

17時半ごろ、岡山駅に到着。迎えに来てくれた増田、田中とともに玉野へ。

19時、「おむすびクラブ」の大会に出席。
ちょうど議事が終わったところで、懇親会からの参加となった。冒頭に挨拶をさせて頂いた上、参加者の皆さん全員と1人1人ゆっくりとお話もでき、楽しい時間を過ごす。初めての国会質問とその後のマスコミ報道についても報告して、激励を受けた。

21時、玉野の有力支持者の方のお誘いで、ある町内会の集まりに出席。カラオケも始まって、2時間以上、大いに盛り上がった。

今回の帰岡は滞在時間12時間の“強行軍”だったが、お招き頂いた「おむすびクラブ」、飛び入り参加の「町内会カラオケ」は、いずれも和気藹々ムードの楽しい集いだった。有意義な“強行軍”。



 2/3(火)

午前中は、議員宿舎の大掃除。
来週は国会事務所研修ということで、地元秘書が上京してくる。ホテル代が払えないので、宿舎に泊まって貰うことにした(その間、津村本人は妹の家に滞在)。そのための受け入れ態勢が必要だ。もともと物がほとんどない宿舎だが、やはりゴミは出る。かなりキレイにしたつもり。

11時半ごろ、国会事務所に出勤。引き出しが壊れていた議員用デスクが取り替えられていて、書類の整理も捗る。先週忙しかった分、デスクワークが溜まっているが、やるべきことが多すぎて、なかなか「代議士日記」が書けない。

16時、憲政記念館で、新人議員の会(仮称)の設立大会。
民主党の新人衆議院議員58人が全員参加で発足し、菅代表、小沢代行、岡田幹事長が勢ぞろいして祝辞を下さった。とにかく「全員が次の選挙を小選挙区で勝つこと」が私たちに課せられた至上命題。互いに切磋琢磨しながら、政治活動と選挙準備の両立をめざす。
大会では、会の名称も決められた。京都の泉健太代議士が提案した「一念会」と津村提案の「Team43(チーム・フォースリー)」の2つの候補があり、参加者全員の投票の結果、24対23の一票差で「一念会」に決まった。「一念会」。引き締まった感じの、いい名前である。でも、ちょっぴり悔しい。長島さんはじめ、何人もの仲間が「津村さんらしいネーミングだよね。いいと思ったんだけどなぁ」と声をかけてくれた。

17時半、第1回中国・四国ブロック選出国会議員会議(民主党)。
12人の国会議員が全員出席し、冒頭の30分は岡田幹事長も同席。ブロック単位でのネットワークづくりは岡田幹事長の年来の主張でもある。今日は参議院比例区の公認問題についても議論があった。新しい情報や提案も次々と出され、議論は3時間あまりに及んだ。岡山県連からは推薦者なしという報告がなされた。ある程度の方向性が確認され、上申されることとなった。現時点で書けるのは以上。

21時、日銀時代の同期たちと食事。
みんな司司で要職に就いており、話も勉強になることばかり。同期だけに、○○君が結婚したよ、等々といった楽しい話題も多く、ついついお酒が進む。昔からの友人に当選を祝ってもらうのは、格別の嬉しさ。政治家という仕事や選挙、先週の国会質問のことなど津村なりに感じていることを話したりもした。本当に楽しかった。みんな、ありがとう。
帰り道、S君と2人で、寄り道してカラオケ。独身寮時代は、これがいつものパターンだった。



 2/2(月)

朝7時、自宅前で大津にピックしてもらい、新鶴見橋へ。本日デビューの新しいハンドマイクを携えて意気揚々とスタートしたところ、まもなく電池が怪しくなった。音が途切れ途切れになる。慌てて大津が新しい電池を買いに走り、事なきを得た。さすが新しいマイク、低音量でも聞きやすい。
7時半から約40分演説した。

8時25分、小雨が降る中、高島屋前の「おはよう730」に合流。
今日の弁士は江田参議院議員、田原市議、そして津村の3人だけだったようで、8時過ぎに江田さんが新幹線に乗ってからは、津村到着まで田原さんが1人で場を持たせてくださったとのこと。誠に恐縮。
終了後、雨の中、津村の演説を聞きにきてくれた支持者の方とツーショットで記念撮影をし、その後、スタッフと朝食。

9時過ぎの新幹線で、上京。東京には12時半に着いた。

13時半、衆議院第1議員会館の第1面談室で、新人議員の会の準備会合に出席したところ、何だか様子が変。どうやら今日の打ち合わせは代議士本人ではなく、秘書のみなさんが集まることになっていたようだ。慌てて津村事務所の釜我、神田の両名に連絡を取り、途中で入れ替わった。15分ほどお邪魔しただけだが、秘書のみなさんはとても真剣かつ熱心に議論をしていた。自分たちの代議士を少しでも頑張らせようと努力している。頭が下がる思い。

ひょんな形で時間が空いたので、午後はデスクワーク三昧。
書類を徹底的に整理したり、先週末の初めての国会質問のマスコミでの報道ぶりをチェックしてみたり。福井総裁の答弁が内容の濃いものだったため、質問をした津村の名前も読売新聞の紙面や日経新聞、産経新聞、ブルームバーグ、ロイターなどのサイトで紹介されたそうだ。市場関係者の方から聞いたところでは、最初の報道があった11時40分ごろから長期の国債に買いが入り、長期金利が低下したとのこと。日銀と市場との対話の一助となったとすれば、本当に嬉しいし、光栄である。

18時半、中国地方の同僚議員と4人で食事。すっかり盛り上がってしまい、結局3軒ハシゴした。



 2/1(日)

朝7時、京橋朝市。
まず、本部にご挨拶し、関係者の皆さんと20分ほどお話しをさせていただく。その後、各お店をまわり、個別のご挨拶。秘書団からは、増田、根木、堀野、田中の4人が参加した。8時まで活動し、その後おうどんや甘酒を頂きながら、大学教授のYさんのお話を聞く。8時半ごろ、事務所へ。

連合玉野地協定期総会
山崎東町内会

簡単なデスクワークをしたあと、9時15分に事務所を出、増田の車で一路玉野へ。

10時、三井労連アミティーホールで連合玉野地協の定期総会。
組織推薦議員の代表として、挨拶をさせて頂いた。昨年秋の衆議院選挙の際に頂いた応援につき、具体的に触れながら、お礼を述べる。

帰途、増田とともに昼食を済ませ、13時前に事務所着。ただちに出直し、旭操学区へ。
13時、山崎東町内会の「町内会法人化」のための総会に、来賓として出席。
江田五月さんに続いてご挨拶。

13時半、沢田にある里山センターで日本野鳥の会岡山県支部の総会に飛入り参加。新年の鴨場招待の話などを披露しながら、江田参院選へのご支援をお願い。

野鳥の会 江田ポスター 参院選江田選対本部事務所

帰りに、支持者の方の奥様のお見舞いや大亀幸雄さん宅への訪問などしながら、14時半すぎに事務所に戻る。しばしデスクワークののち、次は本日OPENの参院選江田選対の本部事務所へ。岡山市大元上町。一時間ほどお邪魔し、事務所の設営やポスター貼りなどをお手伝い。

17時半、津村事務所の事務局会議。岡山事務所のスタッフが勢ぞろいし、名簿ソフトのこと、休日のこと、年度の資金計画のことなど、非常に濃ゆい議論を続けた。20時まで。
その後、秘書6人と津村の計7人で夕食。

きょうは大勢の皆さんから「津村さん、疲れてるんじゃない?」「痩せたわね」「覇気がないですよ」とご指摘を受けた。確かに今週はハードな毎日を過ごしたと思う。来週以降のペース配分を考えたい。


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2004/2/1-6

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