目次 / 1/19-23へ / 2月へ


Daily TSUMURA 代議士日記 2005年 1月24日〜31日


 1/31(月)

昨夜遅く、大事な友人から嬉しい電話あり。ちょっと寝不足。

 高井くんの初街宣
 田中秘書の机

7時、起床。
7時15分、事務所を出発。

7時半、高井崇志君と相生橋で朝立ち。
楽しみにしていた、高井君の朝立ちデビュー戦。まず最初に私が10分ほどマイクを握って高井君を紹介。その後、約45分、高井君に思いのたけを語ってもらった。その間、私はビラ配り。確かな手ごたえを感じる60分だった。県庁始業時間の8時半まで(2/2の「ひとこと」に関連記事)。

9時、円山の岡山事務所でデスクワーク。
ホームページのコンテンツを充実させるべく、代議士日記や「ひとこと」の執筆を進める。その他、机の上の書類整理など。

13時、津村事務所「事務局会議」。
増田公設第一秘書の仕切りで、先週一週間の作業を振り返り、今後の日程調整など。秘書日記の扱いなどについて、少し時間をかけて見直しを進めることになった。→「ひとこと

14時、民主党2区総支部幹部への挨拶まわり。
増田とともにKさん、Iさんのお宅を順番にまわり、昨年1年間を振り返っての党支部運営の反省点を伺って歩く。週末には民主党岡山県連の大会があり、3月には岡山2区総支部の大会も予定している。早い段階から意向集約を進め、透明で活力ある党運営をめざしたい。それぞれ副代表、幹事を務めて下さっているKさんとIさん。貴重なアドバイスを多数頂くことができた。

17時、森本てつま県議と打ち合わせ。
江田五月参議院議員の事務所で、森本県議と面会。増田とともに、最近の情勢分析や今後の課題についてご指導を頂いた。森本県議は政治の世界の大先輩だが、陰に陽に後輩の私を立てて下さる。私が生意気を言い、県議に諭されるというパターンが目立ち、常にご厄介になっている間柄だが、県議の柔軟な発想とフットワークを見ていると時々自分が“若年寄”に思えてしまうほど。公設第一秘書として今後ますます外部との接点が広がる増田についても、ご指導をお願い。

18時半、事務所。代議士日記の執筆。

20時、秘書と会食。
増田、田中と近くの安居酒屋で一杯。会議も重要だが、仕事外の話も大切。最近は仕事に追われていたので、久しぶりにリラックスして与太話。

22時半、温子、根木秘書ともう一杯。
二人はピアノコンサート(巨匠ルース・スレンチェンスカさんのラストコンサート)の帰り。途中から私も加わって、のんびり焼酎のお湯割り。

録画したTV番組を繰り返し見て、就寝。



 1/30(日)

7時半、起床。

 灘崎町消防出初式

8時、事務所。
田中秘書の運転する車に乗って灘崎方面へ向かう。昨夜の夜更かしが響いて、とても眠い。が、消防団の行事は普段以上に“遅刻厳禁”。ゆっくり急ぐ。

9時、灘崎町消防出初式。
規律正しい出初式。灘崎町の消防は、県の操法訓練大会で何度も上位入賞している表彰台の常連でもある。3月には岡山市との合併が予定されており、灘崎町としての出初は今年が最後。合併相手の萩原誠司岡山市長も来賓として出席されていた。約180人の消防団員の皆さんが出席し、灘崎町町民会館において挙行。10時半に終了した(来賓挨拶でのスピーチは、「ひとこと」で紹介)。

12時、瀬戸内市邑久町虫明の「かきまつり」。
灘崎町から国道30号とブルーラインを乗り継いで、虫明ICに向かったところ、黒井山の辺りから予期せぬ大渋滞。最初は事故でもあったのかと思っていたが、実は「かきまつり」に向かう車の列と分かり、びっくり。もう既に終了間際の時間なのに、大変な来客数である。あまりの混雑に引き返そうかとも思ったが、途中から抜け道に展開したら、何とか無事に間に合った。

大変な賑わいで誰に挨拶しどう楽しめば良いのか、一瞬途方に暮れかけたが、漁協の幹部の皆さんが寄っている一角に目が止まり、混ぜていただくことに。焼きたての牡蠣、揚げたての牡蠣フライを沢山よばれた。何とも贅沢なひととき。諦めずに来てみるものである。漁協の方の中に私の来訪をいたく喜んで下さる方がいて、道行くお客さんに次々と私を紹介してくれた。ほとんど名刺配り状態。本当にありがたいこと。最後に他の持ち場で働いている漁協のスタッフの皆さんに挨拶して回り、13時ごろ帰途に就く。

 虫明かきまつり
 いただきまーす
 下市後援会ボーリング大会

14時、下市このみ後援会ボーリング大会。
岡山市内にあるフェアレーンで、下市このみ市議を支える皆さんによる毎年恒例のボーリング大会。菅源太郎君とともに顔を出させていただいて、開会式の挨拶。その後皆さんのプレーを30分ほど応援し、会場に流れる「マツケンサンバ」を聞きながら中座。

15時、江田五月新春パーティ。
岡山プラザホテルに約800人の皆さんを集め、盛大に開催。講師の猪口邦子上智大学教授は、外務省改革の際に民間人登用枠でジュネーブ軍縮大使を務められた方。私が東大の教養学部生の頃、ご主人の猪口孝先生のゼミに参加していたこともあり、一度ゆっくりお話ししたかったので、お会いできて感激。記念撮影までお願いしてしまった。そのほか、多くの支持者の方とお話しすることができ、濃厚なひととき。お世話になっている方すべてにご挨拶できなかったのは、時間の制約とはいえ残念だった。途中、次期衆議院選挙の候補予定者(5人います)を紹介して頂くタイミングがあり、唯一の現職として音頭を取ることに。最初にマイクを握って、挨拶。沢山の思いを込めたつもりだ(詳しくは「ひとこと」)。
このパーティには連合岡山から森本会長や二宮代行がお見えになったほか、経済界からも中国電力の灘支社長ら多彩な顔ぶれが参加された。

 江田五月新春パーティ
 津村啓介&猪口邦子さん
 古市倉敷市長パーティ

18時、古市けんぞう倉敷市長と語る会。
江田パーティの後、江田さん、高井崇志君らとJR山陽本線に乗り、倉敷へ。会場は倉敷チボリ公園のアンデルセンホールである。こちらも大変な賑わいであったが、到着と同時に乾杯があり、直後に壇上で紹介をしていただく。「岡山の民主党には江田五月さんの実績、経験があります。また、私たち若い力のフットワークもあります。しかし、その両方を兼ね備えている古市市長から学ぶべきものは大変多いと思っています。古市市長の背中を見ながら、多くを学び、力を付けてまいります。今年もよろしくご指導下さい。ご盛会おめでとうございます!」」と、挨拶。石井知事も来場される中、テーブルを回り、沢山の方と名刺交換などする。19時まで。

帰り際、ホールの階段のところで、Hさんという方から声をかけられた。
「津村さん。あなたが津村さんだね。2年前、福岡の○○君から君のことを応援してあげてほしいと頼まれたよ。○○君は大学の同期なんだ。よく頑張って、国会議員になったね。本当におめでとう。今日君に会えて良かったよ」。
○○君というのは、私の大切な友人のお父さんである。長く政治に携わってきた方で、直接お会いしたことはないが、私が政治を志した時期に強い刺激を受けた方である。本当にびっくりした。○○さんが私のことを覚えていて下さり、岡山ゆかりのご同期に私のことを紹介して下さっていたなんて。。。政治を志して“終の棲家”と決めていた日銀を退き、政治を天職と信じて毎日を生きている今の自分。その来し方をふと振り返り、物思う瞬間だった。
○○さん、ありがとうございます。私は頑張ります。

19時半、江田五月さん・京子さんご夫妻らと食事。
ホテルグランヴィアの2階で夕食中の江田夫妻、支持者の方々、高井崇志君に合流。・・・私はビールと枝豆。

20時半、友人と一杯。
友人行きつけのNというバーで、軽い食事と赤ワイン。友人とマスターが私が政治を志したきっかけを聞きたいとおっしゃるので、イギリス留学前後の心の葛藤をお話しする。興味を持って聴いていただいて、私のほうが恐縮。友人と会うのは久しぶりだったが、楽しい時間を過ごすことができた。

23時すぎ、帰宅。
ここ最近録画した地元放送局の情報番組を名場面だけツマミ見た後、明日に備えて早めに就寝。

明日は高井崇志君の朝立ちデビュー戦! 2人で県庁前に立つ。



 1/29(土)

午前中は、東京でのんびり。
週末としては珍しいことだが、今日は地元岡山でのアポ、イベント情報をゲットしていなかった。これを奇貨としてエネルギーを充填。

通常国会の開会第一週で、岡山と東京の往復にまだ身体が慣れていないのか、疲れを感じやすくなっている。ゆっくりと眠った。

10時53分東京駅発の「のぞみ」で帰岡。
車中、ブランチとして八戸駅の駅弁“海鮮丼”を食べ、さらに2時間ほど眠った後、新大阪辺りで起き出して本間長世『正義のリーダーシップ 〜 リンカンと南北戦争の時代』を読み始める。アメリカの歴史の代表する名大統領の一人リンカンを例に戦時におけるリーダーシップを見つめなおすことで、ブッシュ大統領の中東政策についても示唆を与えていこうとする野心的な著作。

本間氏は元東大教養学部長。周囲から東大総長に推され、5人が争った総長選の上位に入り、決戦投票でも有馬元東大総長と得票同数になって、史上初めての「くじ引き」による決定で総長にならなかった人。弟の本間忠世氏は、元日本銀行理事であおぞら銀行の社長として再建を託されたが、志半ばにして自らの命を絶たれた。
日銀時代、大先輩であった忠世氏と少しだけお話をしたこともあるが、目線の低い方で部下からも慕われていた。亡くなった時の衝撃は忘れられない。・・・そんなことを思い起こしながら、文章に引き込まれていった。

14時すぎ、岡山駅に到着。
迎えに来てくれた田口秘書の車に乗って、いったん事務所に戻り、街頭演説の準備。そんな中、和気、玉野、長船に住む若い友人たちと連絡を取り、急遽今夜会うことに。津村が紹介役になって、みんなでカラオケに行く約束。

 クレド前で街頭演説

16時、クレド前で街頭演説。60分。
若い通行者が多く、あまり聞いて貰えないかと思いきや、朝の通勤時にはまずありえない“立ち見”の方もチラホラ。普段は、流れている人波に短いフレーズを繰り返しながら訴えるのだが、立ち止まって聞いてくださっている方がいる以上、少しストーリー性のある話し方をする必要がある。途中、聴いて下さっていた方の一人から声がかかった。「よかったら外交の話を聞かせて下さい」。これは頑張らねばと、国連の話から領土問題まで、少しまとまった時間お話しをした。その後ご質問を受け、街頭で答える場面も。今日は暖かいと思ってコートを脱いで街頭に立ったが、終わる頃には身体が冷え切っていた。本日はスタッフが出払っており、田口秘書が一人でビラ配り。1時間で180枚。

17時半、円山の岡山事務所。
国政報告会の“テープおこし”をHPにアップしたので、レイアウトのチェック。50分の講演を全文起こしているので、区切りやタイトルを付けようかどうか迷う。結局HP管理人“あやぼぅ”の提案でレジュメどおりの区切りを示す。そうこうするうち会いたかった友人から連絡があり、早速出て行くことに・・・。

20時、西大寺町商店街近くで、友人とお茶。
お茶と言いながら、私だけカレーライスとコロナビール。仕事での面白いエピソードや苦労話を聞かせて貰ったり、最近の民主党の話を聞いて貰ったり、楽しい時間。仕事柄共通の知人が多く、話すたびに新しい発見がある。この友人と会うといつもそうだが、時間があっという間に過ぎていく。帰り道、小雨模様の天気を見て、自分の傘を貸してくれた。

21時半、20代の友人7人と、カラオケ。
労働組合の若手4人に声をかけ、その友達らと私を含む計8人でカラオケ。休日の突然の呼びかけにもかかわらず、和気、玉野、長船から駆け付けてくれた。お互い初対面のメンバーが多く、最初は紹介しながらのスタート。だんだん盛り上がり、最後は皆で踊っていた。私は『波乗りジョニー』や『Jupiter』。4時間。

26時、江田事務所。
木下秘書や1区のY君から“飲み足りない”“久しぶりに歌いに行きたい”とのことで、呼び出しを受ける。もっとも、私自身は既にかなり飲み足りている上に、歌も全然久しぶりではなかった(今行ってきたばかり)。心揺れたが、明日の朝早いので“近々必ず”と約束し、家路へ。声をかけてくれたのに、ごめんね。本当に近々必ず行こう!

26時半、帰宅。
DVDで地元放送局のニュースや情報番組をチェック。最近の楽しみ。そして床に。



 1/28(金)

本日、補正予算が衆議院を通過。
昨年の台風・地震等の災害対策が中心であり、民主党も賛成に回る。社民、共産も賛成し、政府提出の予算案が全会一致で可決される異例の展開。因みに私たちは、昨年秋の臨時国会の段階から“災害対応なのだから、早く補正予算を組むべき”と主張し続けてきた(・・・なので、今回反対する理由はないのだ)。

8時、起床。

9時、衆議院予算委員会。基本的質疑3時間。
いよいよ補正予算の審議が大詰め。NHKのテレビ中継も入る中、白熱した議論の応酬が続く。私は普段は予算委員会所属ではないのだが、本日出席できない中塚代議士の差し替えで出席。岩国、永田両代議士の質問は、それぞれ個性豊かで切れ味も鋭く、予算委員会のバッターに選ばれるだけあって、さすが。間近に見ていて、勉強になる(つまらないことだが、津村の席が質問者の斜め後方だったため、ちょこちょこテレビ画面に映っていたらしい。何人かの支持者から言われました)。

12時、国会事務所。
今日は委員会と本会議が立て続き開かれるため、事務所にいられる時間が少ない。急いでメールをチェックし、溜まっている書類を決裁。さまざまな招待への出欠を判断したり、先々の日程を調整したり。

12時半、国対幹部と1年生議員のミーティング。
通常国会の冒頭に当たり、予算審議に臨む党の国会対策方針や委員会での個別の質問に際しての注意など、国対幹部から指導を受ける。

12時50分、議員食堂で、慌しく昼食。

13時、衆議院予算委員会。締め括り質疑3時間。
引き続き、補正予算関連の質疑。13時半から45分強、質問に立った長妻昭代議士の隣の席に座り、アシスタント役としてパネルを持ってお手伝いした。小泉首相以下、内閣の全閣僚が目の前にいて論戦が繰り広げられている光景は今更ながら圧巻。いつ予算委員会のバッターが回ってきても恥じぬよう、問題意識を高めていかなければと緊張する。

16時、採決が行われ、補正予算を委員会可決。
冒頭に書いたとおり民主党は「賛成」の判断を固めており、同僚議員とともに私も起立した。社民党、共産党も含め全会一致で可決。その後、ただちに平成17年度本予算について、谷垣禎一財務大臣から説明が行われた。

17時、代議士会。
衆議院本会議の前に行われる、恒例の意識合わせ。補正予算の賛成討論に立つ佐々木秀典代議士からユーモアあふれる決意の言葉。

17時半、衆議院本会議。
補正予算が全会一致で可決され、衆議院を通過。それにしても欠席が目立つ。金曜の夕方なので、早く地元に帰って支持者に会いたいのは政治家の性。私も“金帰月来”を習慣としているので気持ちはよく分かる。しかし、何と言ったって、補正予算の本会議採決である。党派・当選回数に関わらず空席が多く見られるが、ちょっとどうかと思う。

18時、事務所でデスクワーク。
次回の上京を(いつものように月曜ではなく)火曜日にしようと考えており、デスクワークを少し丹念にやっていたら、思った以上に手間取ってしまい結局深夜まで。

本日は、東京泊。

*速報版*
9時、衆議院予算委員会。テレビ中継が入る中、白熱した議論の応酬が続く。中塚代議士の差し替え。3時間。
12時、事務所。
12時半、国対幹部と1年生議員のミーティング。
13時、衆議院予算委員会。引き続き、補正予算関連の質疑が続く。途中、長妻昭代議士の質問の際には、アシスタント役として質問者席の隣に座り、パネルを持ってお手伝いした。小泉首相以下、内閣の全閣僚が目の前にいて論戦が繰り広げられている光景は今更ながら圧巻。
16時、そのまま採決に入り、補正予算が委員会可決。津村は、賛成の起立。
17時、代議士会。
17時半、衆議院本会議。補正予算が全会一致で可決され、衆議院を通過した。欠席が目立つのは、ちょっとどうかと思う。
18時、事務所でデスクワーク。思った以上に手間取ってしまい、深夜まで。



 1/27(木)

8時、起床。
「青山議員宿舎→国会」のシャトルバスに乗ろうとしたが、ちょうどいい時間のものがなく、地下鉄千代田線で通勤。

9時、外交・防衛部門会議。
平成17年度予算につき、外務省と防衛庁からヒアリング。さらに最新のイラク情勢についても。

9時半、国会事務所。代議士日記の原稿書きやメールチェックなど。

11時、代表補佐チーム会議。
2期生の武正代議士が主査を務められ、1期生議員5人(馬淵、高井、田島、西村、津村)と高橋千秋参議院議員がメンバーに加わっている「役員室代表補佐チーム」。
本日は、途中退場に脚光が集まった岡田代表の代表質問について、内容面から精査を加えた。2月9日ないし16日には、党首討論も予想され、今後どの分野を中心に切り込んでいくか真剣な議論。馬淵代議士からは理念の話があり、津村からは政策の優先順位について提言。45分。

12時、国のかたち研究会。
菅直人さんを囲む民主党議員のグループ「国のかたち研究会」に30分ほど遅れて参加。年末に事務局次長クラスで運営の手伝いをするように話を頂いたが、その後あまりお役に立てていない。今年の大切な課題の1つだ。12時半過ぎまで、お弁当を食べながら情報交換。江田五月さんが座長。

13時、国会事務所。
新聞社の取材を受けたり、「ひとこと」を書いたり。8月に懲罰を受けたことや、9月末から民主党役員室のメンバーになったことも関係してか、昨秋ごろから新聞・TVの記者さんたちと接点が増えている。取材に来て頂いても、話せる内容には自ずから限りがあり、何でも話せる訳ではない。ただ、雑談をするだけでもお互いに発見があり、刺激を頂くことも多い。最近では、国会事務所の秘書も各社の記者さんの名前を覚えつつあり、お付き合いの仕方がだんだん分かってきたようだ。

15時、衆議院予算委員会の傍聴。
最後の部分しか聞けなかったが、菅さんの質問を傍聴。迫力は健在だった。支持者の方からは、「せっかく岡田民主党の“まっすぐに、ひたむきに。”のカラーが浸透しつつあるのに、またぞろ菅さんのパフォーマンスが前面に出るのは如何なものか」というご意見も頂いた。衆参の民主党議員の代表質問についても、もっと足並みを揃えろというご批判もある。自民党が○○の一つ覚えのように言う「民主党のバラバラ感」は根拠に乏しいのだから、私も、今の民主党は“一致結束している”ことをもっと強調していくべきだと考えている。その意味で支持者の方々の意見や批判はもっともだ。今は個人よりも党や代表を立てるべきだ。

ただ、菅さんや代表質問のバッターたちは、一人の例外もなく岡田代表を支えて次の政権選択選挙を戦い抜く真の覚悟を持った方々であり、その自負も持っている。
だからこそ自分の主張を堂々と述べることもできるのだということは申し添えたい。

16時、流通業界で働く方々と政策の議論。
政策通のお2人と消費税見直しの議論や地域経済振興の問題について、約40分間ディスカッション。総論で意見の一致をみているのだが、具体策については更に知恵をお借りしたい部分もある。特に地域経済の活性化は知恵の絞りどころだ。

17時、インターン打ち合わせ。
議員インターンシップ「.jp」を通じ、2月から3月にかけて4人の大学生を事務所に受け入れることになった。一橋大生2人と横国大生2人。男女比は3:1。
全員東京の学生だが、津村事務所の恒例に従い、3月後半には約10日間の岡山研修合宿を予定している。今日はその打ち合わせ。前回受け入れた学生も2人(佐伯、泉)参加して、的確なアドバイスをくれていた。「.jp」の担当者Yさんの仕事ぶりも完璧。前回のTさんに続き、本当に立派な仕事ぶり。

18時半、インターン懇親会。→「ひとこと
打ち合わせのあとは、赤坂の安居酒屋で懇親会。昨年夏のインターン4名(佐伯、泉、村田、中村)、今春予定のインターン4名(N君、Oさん、M君、S君)、その他5名の若い友人たち(国会インターン経験者のKさん、岡山インターン経験者のHさん&M君、「.jp」のTさん&Yさん)が集まってくれた。事務所からは私とパートのMさんが参加。計15名。国会事務所で私の活動を支えてくれている東京在住の「若い力。」たちと、夜更けまで楽しいひととき。

24時ごろ帰宅、即就寝。


*速報版*
9時、外交・防衛部門会議。平成17年度予算につき、外務省と防衛庁からヒアリング。
9時半、事務所。
11時、代表補佐チーム会議。代表質問の省みと2月に予想される「党首討論」の内容検討。
12時、国のかたち研究会。
15時まえ、新聞社の取材。
15時すぎ、予算委員会傍聴。菅さんの迫力は健在。
16時、流通業界で働く方々と政策の議論。
17時、インターン打ち合わせ。
18時半、インターン懇親会。
昨年夏のインターン3名(2名欠席)、今春のインターン2名、その他6名の若い友人たちが集まってくれる。事務所からは私とパートのMさんが参加。計13名。国会事務所で私の活動を支えてくれている東京在住「若い力。」の集まり。(たぶん、夜更けまで。)



 1/26(水)

5時45分、起床。
今日は1人の朝立ちなので、いつも以上の緊張感。なぜなら車の運転をする必要があるから。

6時15分、事務所出発。
最近気に入っている大塚愛のCDを聴きながら、安全運転で、演説スポットへ急ぐ。

 朝街宣 at 邑久駅

7時まえ、邑久駅で朝立ち。今日は一人で。
到着してみると、出雲大社ツアーに向かう中高年女性の集団が待ち合わせしていた。何人かの方が「朝早ようから大変じゃ〜」と声をかけてくださり、国政報告を受け取って、他の皆さんにも回し読みしてくださった。「バスの中で皆なで見るわ〜」。

赤穂線の場合、朝のラッシュ時でも電車は30分に1本しか来ず、当然駅の改札をくぐる人の数も波が激しい。電車が出た直後は15分ほど閑散。少しづつ人が来たと思ったら、直前の10分は右から左から大勢来すぎて、とても配りきれない。必死で頑張り、6時53分〜8時25分の間に219部を配布した。

8時ごろの電車に乗った若い女性は、彼女のほうから私に歩み寄ってきて、「成人式のスピーチ、良かったですよ!」と言って、笑いかけてくれた。沢山の行事がダブルブッキングした中で、成人式出席を選んで良かった!政治家冥利に尽きる。

9時、朝礼。
今年から岡山事務所では毎朝「朝礼」を行っており、出欠確認と国会事務所との情報連携を徹底するようにしている。私からも、朝立ちの結果報告。9時20分ごろ、市民会館に向けて、出勤スタッフ全員で出発(津村、根木、田中、田口)。

 街頭演説 at 石山公園前
 老人クラブ大会

9時40分、石山公園前で街頭演説。
この後すぐ、初めてお招きいただいた岡山県老人クラブ大会があり、来賓挨拶をすることになっている。大勢の人生の大先輩を前に、若輩の私が偉そうな立場でモノを言うことになる。県内全域から人が集まることもあり、そもそも私を知らない方もいるだろう。そう思ったので会場の入口近くで、大会加者の皆さんを主な対象に、自己紹介を兼ねた国政報告の演説をすることにした。約40分。途中、車で友人が通りがかり、直後に「拝見しました!」と嬉しいメールをくれた。冷え切った身体が温まる思い。

10時半、岡山県老人クラブ大会。
参加者1500人。国会議員の参加が私だけだったので、「国会議員代表」としてお祝いのスピーチを依頼された。短くて気合いが入った挨拶を心がける。

この場での津村のスピーチの内容と反応について、高井崇志君が自身のホームページで詳細に紹介をしてくれている。
【高井崇志君の「活動日誌」】http://takaitakashi.com/diary/diary.html

12時、高井君、田中秘書と昼食。岡山と東京の往復が激しくなっており、精を付けるため、肉系。

13時05分、「のぞみ」で上京。お腹いっぱいだったこともあり、よく眠れた。
16時半、東京着。

17時、役員室会議。
本日は岡田代表欠席。波乱の幕開けとなった通常国会。戦後初となった代表質問での退席劇について、党内外での評価を再集約。建設的な議論ができたと思う。今後の戦略等も含め、それぞれの代議士が思いを語り、皆さんさすがプロの政治家だなと改めて思う。先輩方から教わるところ大。

18時、デスクワーク。

21時半、大手金融機関勤務の友人と、久しぶりの会食。
食事中、対応しなければならない案件が入り、“あやぼぅ”らと緊急のやりとり。結局、帰宅して連絡作業に専念することになった。食事中、特に後半は殆ど話もできず、途中で失礼してしまった友人には、本当に申し訳なかった。ごめんなさい!

“あやぼぅ”が大活躍。事務所の課題がまたひとつ。
概ね連絡が終わった午前2時ごろ、疲れ切って就寝。

「残念だけど、僕はスーパーマンではありません。スーパーマンにはなれません。」
私の大好きな寅さんを演じた、尊敬する渥美清さんの晩年の言葉。
私はまだ若いので、それでもスーパーマンをめざして、頑張れるだけ頑張ります。


*速報版*
5時45分、起床。
6時15分、事務所出発。
7時まえ、邑久駅で一人「朝立ち」(6時53分〜8時25分で配布219枚)。
9時、朝礼。
9時20分、出発。
9時40分、石山公園前で街宣。初めてお招きいただいた老人クラブ大会の参加者の皆さんを主な対象に、自己紹介を兼ねた国政報告の演説を約40分。途中、車で友人が通りがかり、直後に「拝見しました!」と嬉しいメールをくれた。
10時半、岡山県老人クラブ大会。1500人の人生の大先輩を前に、33歳の若輩の私がどんなご挨拶をしようかと悩んだが、直前に貰った友人の嬉しいメールもあって、とても気合いが入った。ここでの津村のスピーチについて、高井崇志君が自身のホームページで詳細に紹介をしてくれている。
【高井崇志君の「活動日誌」】http://takaitakashi.com/diary/diary.html
12時、高井君、田中秘書と昼食。
13時05分、のぞみ。16時半、東京着。
17時、役員室会議。
18時、デスクワーク。
21時半、大手金融機関勤務の友人と、久しぶりの会食。食事中、対応しなければならない案件が入り、“あやぼぅ”らと緊急のやりとり。結局、帰宅して連絡作業に専念することに。食事中殆ど話もできず、途中で失礼してしまった友人には、本当に申し訳なかった。ごめんなさい!
概ね連絡が終わった午前2時ごろ、就寝。



 1/25(火)

午前中、宿舎で過ごす。ちょっと疲れがたまっていた。

11時半、昼食。
国会事務所に出勤する途中、衆議院第2議員会館の地下で朝食を兼ねて。定番の月見うどんだが、今日は普通盛り。

12時、国会事務所に出勤。
洗面所に行って顔を洗い直したり、メールのチェックをしたりしているうちに時間が過ぎていく。今日は本会議が超ロングランなので、体調を万全にしておかなければならない。

12時半、防衛庁レク。
今国会に防衛庁が提出を予定している法案につき、防衛政策課の方からレクを頂く。今日は頭出しということなのだろうが総論的な話が多く、幾つか資料を請求。

13時10分、代議士会。
昨日の代表質問が流れた小宮山洋子代議士、「次の内閣」財務大臣の野田佳彦代議士が質問前の決意表明。

13時半、衆議院本会議。
所要4時間30分は、年に数えるほどしかない超ロングラン。途中で出入りする代議士も多く、地元に帰った方もいたようだ。が、私は当選以来、「本会議中はトイレも行かない」というmyルールを設けており、今日も多少辛かったが、守った。
小泉総理の答弁は官僚の書いた原稿を棒読みするだけ。しかもあまり上手な棒読みでもなく、眠くなりそうな場面もあったが、そこそこ見せ場もあった。子育て支援に焦点を絞った小宮山さんも聞かせたが、何といっても野田さんの演説が圧巻。野田さんの真骨頂ここにあり、という感じだった。ぜひ衆議院TVで皆さんも聞いてほしい。→「ひとこと
最後の質問バッターだった社民党の横光さんへの答弁の中で、小泉さんが「社会主義者」という言葉を使ったのが、強い印象として残っている。自分の言葉で語ろうとしたのかも知れないが、明らかに文脈を間違えていた。18時終了。

18時すぎ、生命保険会社で働く方々と面会。
今年の政策課題について話を聞いた。昨年質問でも採りあげた「銀行窓販」の問題など、その後の政策展開をフォロー。

その後、時間の許すかぎり、デスクワーク。
足許固めの観点からHPのコンテンツ充実を進めている。秘書日記の充実も課題だ。過去の書き込みを読み返していると、日ごろ私に「もっと日記を書いて下さい!仕事でしょ!!」と言い続けているHP管理人“あやぼぅ”が珍しく私を褒めている(1/20付「秘書日記」)。雨が降るかも。

20時33分、最終新幹線で帰岡。



 1/24(月)

8時、起床。
明け方まで続いた倉敷市議選の「お祝い廻り」の余韻が身体中に響く中、今日から本格化する国会論戦に向けて、冷たい水で顔を洗い、朝風呂。

8時15分、田口秘書来訪。
「今日は上京直後に本会議。万が一、寝坊があっては・・・」という配慮で、田口秘書が自宅まで迎えに来てくれた。入浴直後だったので、パンツ一丁で出る。

8時半、事務所を出発。

9時05分、新幹線「のぞみ」で上京。
車中爆睡。所要時間は約3時間半だが、3時間以上眠っていた。品川付近で起き、顔を洗ったが、目は腫れぼったい。12時半、東京駅着。

12時45分、代議士会。
衆議院本会議の前に必ず行われる、民主党衆議院議員の意識合わせのミーティング。今日は最初のヤマ場である岡田代表の「代表質問」だけに、皆気合いが入る。

13時、衆議院本会議。
岡田代表の「代表質問」はよく練られた中身であり、内政・外交のバランスもよく、提案型の建設的な質問であった。被災地支援から始まり、年金、公務員問題、郵政、国連常任理事国入り問題など今年の重要テーマについて、自分の言葉を使い、自民党の評価すべきところは評価しつつ、誠実に論点を絞り込むのが岡田スタイル。与えられた35分の質問時間のうち、再質問用に5分残して壇上を降りた。その後の小泉首相の答弁は、4年前の小泉ブームの時の流れるような演説とは打って変わった“官僚答弁の棒読み”。自民党議員からの拍手は、まばら。往時のカリスマ性は、もはや完全に失われてしまった。

岡田代表は、年金問題などの主要な論点について9つの再質問を行ったが、小泉首相は「すでに答弁した」の一点張りで再答弁を拒否。その後の紛糾についてはHPの「ひとこと」欄に詳細に書いたとおりである。
そして、議場を退場(その際の田中真紀子代議士とのエピソードは「ひとこと」)。

ただちに代議士会。岡田代表のスピーチは熱がこもっていた。私たちは正しい。

15時半、岡田代表と協議。
役員室の代議士数名で院内第24控室にある民主党役員室に詰め、幹事長と岡田代表の協議ののち、入れ替わりで代表室へ。詳細の紹介は避けるが、議場内での幹部のやりとりを伺い、また、岡田代表の強い思いを確認することができた。私などが言うのはおこがましいが、代表がとても大きく見えた。

16時、国会事務所。
NHKニュースで本日の衆議院本会議場での出来事がどう扱われているかを確認し、取り急ぎ「ひとこと」を執筆。

17時15分、緊急の代議士会。
河野洋平衆議院議長の小泉総理への「注意」と「再答弁」を条件に、審議再開を了承したとのこと。衆議院議長が内閣総理大臣に「注意」をするとは、異例中の異例。大きな成果だ。その後、いったん事務所に帰り「ひとこと」をアップ。ほどなくして、日銀の同期から感想のメールが届く。

17時45分、衆議院本会議再開。
議長の注意は短いものだったが、岡田代表の再々質問は実に堂々としたもの。だが、小泉総理の再答弁は実にあっけなく、内容の乏しいものだった。議長の権威を冒涜していないか!

18時、国会事務所。
ホームページのコンテンツなど、デスクワークを中心に作業。国会が大荒れなので、スケジュールが狂いに狂っている。これぞ国会なのだが。連合の政策勉強会には、残念ながら出られず、佐竹政策秘書に代理出席をしてもらった。

20時半、在京テレビ局の若手との懇親会。
“70年代生まれ”の民主党若手代議士13名と同じく“70年代生まれ”のテレビ局関係者約10名の懇親会。日本の安全保障政策に始まり、某国営放送の人事や地元での選挙活動の話、はては業界の恋愛事情まで、硬軟入り混じった楽しい話題で大盛り上がり大会。全ての在京キー局が参加した。
二次会はカラオケボックスで一曲も歌わずに話し込み、三次会はバーでしっぽり。

昨夜は2時間睡眠、さらに今日は朝食も昼食も食いっぱぐれていたせいか、皆さんの体力に付いていけず、一足先にリタイアしたのが午前3時。他のメンバーは4時半の閉店まで盛り上がったとか。
記憶は宿舎の部屋に帰ったところまで。いつのまにか寝ていた。


*速報版*
大荒れの国会審議については「ひとこと」参照。明日詳しく書きます。
今夜は、民主党若手代議士&マスコミ各社の記者・キャスターの懇親会。70年代生まれの集まり。どんなお話が聞けるか楽しみ!


ご意見、ご感想、激励メッセージはこちらまで

2005/1/24-31

目次 / 1/19-23へ / 2月へ