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Daily TSUMURA 活動日誌 2004年 2月16日〜21日



 2/21(土)〜22(日)未明

(続き)
19時過ぎ、岡山弁護士会の会長に本日就任された河田英正弁護士のご自宅に寄らせていただき、お祝いを申し上げた。河田さんには、家族ぐるみ、スタッフぐるみでお世話になっている。

19時半、事務所着。ただならぬ緊張感が漂っている。「西大寺会陽」宝木(しんぎ)投下まであと4時間半。
20時、居合わせた秘書全員で、近くのお好み焼き屋さんへ。みんな心なしか言葉数が少ない。

21時過ぎ、大津運転の車に乗って、西大寺へ。山崎、増田、林も一緒。

22時前、お世話になっているグループの方々に合流。津村事務所メンバーのために部屋を1つ用意して下さっており、時間が来るまで待機。窓の外が次第に賑やかになってくる。

22時半すぎ、到着した江田五月さんとともに、近くの別グループに挨拶へ出かけた。100人ほどの皆さんが集まっていたが、皆さん超ご機嫌。大歓迎をして下さり、挨拶までさせて頂いた。

22時40分、いよいよ“ふんどし”タイム。
リアルな説明は避けるが、最初に装着した増田の、声にならないウメキ声に一同戦慄。津村は最後に装着したが、後ろからマワシを引っ張り上げられて、何度も宙に浮きそうになった。巻いて下さる方は本当に大仕事。巻いて頂くほうも結構大仕事。

増田 山崎&林&増田&津村&大津

23時過ぎ、鏡割りのあと、観音院に向かって出発。
最初はお湯をかけていただいて「意外と温かいな」と思ったが、すぐに冷水を浴びせられ、凍りついた。津村事務所のメンバー5人(左から大津、津村、林、増田、山崎)で肩を組み、他の「はだか」たちと一団になって、前に進む。肩を組みながらピョンピョン跳ねるので、リズムが狂うと肩が抜けそうになる。それを30分以上。
「..わっしょい..わっしょい」のリズムで、飛び跳ねる。とても心地いい。

江田五月さん&津村&秘書チーム わっしょい わっしょい

23時45分ごろ、いつもお世話になっているKさん、山崎、大津らとともに、境内に突入。
柱や階段の近くは危ないと聞いていたが、本当に危険。高さ2メートルほどの境内の上で東京の中央線快速もビックリの大おしくらまんじゅうをしているイメージ。勢いが付いているだけに、階段に近い人が何人も突き落とされていた。山崎らに寄ると、頭から転落し意識不明になって運ばれた人もいたようだ。危ないので、とにかく中に突っ込んでいった。手を上にあげ、バンザイ状態になるのが、コツ。そうでないと下に押し込められ、窒息したり、踏み潰されたりする危険がある。が、なかなか手が上に挙げられない。自分の手さえもコントロールできない。背中にKさんを感じる。津村が死なないようにガードを兼ねてくださっているのだ。心から感謝。

0時ジャストの宝木(しんぎ)投下が、クライマックス。
境内の上から沢山の枝宝木(えだしんぎ、宝クジの前後賞・組違いのような位置付け)とともに、本物の宝木が投下される。津村も枝宝木には触れることができた。山崎は本物の宝木に触ったという。

その後は、宝木の大争奪戦。文字通りの奪い合いである。本当に宝木を持っているのかどうか分からないが、いろんなところで人の渦が出来、殴り合いに近い奪い合いが行われている。津村も諦めず色々なところに手を出してみた。高校時代の「棒たおし」を思い出す。15分ほど頑張ってみたが、結局、ゲットできなかった。

0時半、シャワーを浴び、お世話になったグループの建物を後にする。参加したスタッフは全員、不思議に心地よい疲労感の中に浸っている。

その後、2つの「御福頂戴」をハシゴ。今年の祝い主は、シティライトさんとナカシマプロペラさん。宝木をゲットした「福男」を称え、御福を頂戴する儀式である。

シティライトさん ナカシマプロペラさん

1時、両備プラッツの隣で、シティライトの御福頂戴に飛び入り参加。挨拶をさせていただく。逢沢、熊代両代議士、加藤参議、萩原市長、小倉県議、成本市議らが出席。

2時、観音院で行われたナカシマプロペラの御福頂戴で、挨拶。ほぼ同じメンバー。

その後、お世話になっている料理屋さんに、ご挨拶。
事務所に帰ったら、3時になっていた。



 2/21(土)Misato

午前中、選挙を応援してくれた岡山の仲間を案内し、国会議事堂周辺を歩く。
議員会館の事務所も観てもらい、お昼もご一緒。喜んでもらえた。

15時半、目白の教会で、親友M君の結婚式。
M君は、麻布高校以来の親友で、大学時代は2人で紀伊半島や大阪、神戸を旅行したり、図書館で机を並べて就職のための勉強をしたりした。カラオケ友達としてもよく遊び、節目節目にはお互いの人生相談もした。彼は就職後かなり早い時期に転職をしたが、その後大変な努力をしてお医者さんになった。津村の日銀退職→衆院選出馬についても、かなり早い時期から相談をし、「一度しかない人生だし、好きなことをやるべきだよ」と背中を押してもらった仲。結婚式
どっちが先に結婚するかと言っていたが、先を越されてしまった。。。アットホームな雰囲気の素敵な式。共通の友人(主に麻布OB)も何人か来ており、再会を祝して記念写真を撮った。

16時20分、式が終わり、ティーパーティーへの移動時間の間に失礼をして、中座。
17時40分のANAで、羽田から岡山へ。

19時前に岡山空港に着き、大津に拾われて、市内へ向かった。(続く)

この夜の「西大寺会陽(“えーよー”と読みます)」参加の模様については、後日改めて書きます。



 2/20(金)

朝9時半、院内第16控室で行われた、民主党の国対役員会に出席。
出るたびに新しい言葉(用語)に出会う。歴史と伝統によって成り立っている世界だけに格式を重んじるのだろう。逆にいえば、あらゆるルールに由来があり、面白い。10時終了。

本日は、国会事務所に篭って、終日デスクワークをした。11時ごろからは、溜まっている書類の整理。早めの昼食。12時から2時間、休憩。

14時、インターネットで同僚議員らのホームページを読む。
普段よく一緒に仕事をする、馬淵近藤松本の各代議士は日記をよく更新されている。内容や文体に個性が光っていて、とても興味深い。実はほぼ毎日拝読しているが、今日は少し丁寧に読んでみた。例えば、中曽根講演に関する馬淵さんの整理など、特に勉強になる。

15時過ぎ、江田事務所のインターン生が来訪。熱心な学生さんで、政治家という職業、学生時代の過ごし方、職業選択についてなど、津村の話に一生懸命耳を傾けている。ついつい話に力が入った。

16時半、「おかやまマニフェスト」構想の中間報告について、釜我政策秘書と詰めの打ち合わせ。明日の県連役員会(常任幹事会)に津村が出席できないこともあり、レジュメを岡山事務所に送ったり、代理でプレゼンをしてくれる増田に電話で趣旨説明をしたりなどした。

18時、ぶらりと現れた某事務所の秘書さんと、議員会館の地下食堂で軽い食事。
19時、懐かしい友人にメールを書いたりなど。
21時、地元から上京してきた仲間と食事(予定)。

明日の夜は「会陽」。地元西大寺の誇る「はだか祭り」にスタッフともども参加する。



 2/19(木)

昨夜は西荻窪に泊まり、今日は遅めの出勤。10時半すぎに国会事務所に着く。

11時、党改革について、若手議員数名でディスカッション。
津村もホームページに掲載している自らの意見(「党改革アンケート」)に沿いながら、適宜意見を述べた。来週も同じ時間に集まることになり、テーマも与えられた。思いのあるテーマなので、力を注ぐつもりだ。

12時すぎ、秘書と昼食。引続き体調がイマイチで、月見うどん(但し大盛)。

13時、代議士会に顔だけ出したあと、衆議院本会議。
地方財政計画など、総務省マターの趣旨説明が続き、わが党の松崎松野両代議士を含む3人が質問。所要約90分。

14時半すぎ、年金改革PT第3作業部会の厚生省ヒアリングに出席。
初めて国会図書館に足を踏み入れたが、意外に使い易そうな雰囲気で感動。日銀の先輩でもある大塚耕平参議院議員、同期の新人で東京三菱銀行出身の松本大輔代議士とともに、年金の運用について細かく話を聞いた。16時前終了。

16時、国会事務所でデスクワーク。ご無沙汰している方々にメールでご挨拶をしたり、テレビ局の記者さんの取材を受けたり(放映されるわけではありません)。

17時半すぎ、今日も平岡代議士の代打で、衆議院予算委員会に出席。
藤井裕久代議士の隣で少々緊張しながら、社民党阿部議員の毒ガス関連の質問に耳を傾ける。公聴会に関する採決では「反対」。18時半過ぎに散会となった。

19時、議員会館の国会事務所で、代議士日記の執筆。

(以下は予定)
19時半、ホテルニューオータニで、「国のかたち研究会」の懇親会に出席。釜我、神田は既に向かっている。
21時、日銀時代の先輩と食事。



 2/18(水)

昨夜がだいぶ遅かったため、今日は少しゆっくりと休み、10時半に出勤。体調すぐれず。

10時半、財務省主税局によるレク。
お一人の方は、日銀時代に一緒に働いたこともある方だった。3人で見えたが、津村や釜我の議論に丁寧にお付き合いくださり、まだまだ入り口ではあるが、今回の所得税法改正の意味を一歩深く理解することができた。約30分。

11時過ぎから、釜我政策秘書と打ち合わせ。
「おかやまマニフェスト」の策定に向けたブレーンストーミング、省庁レクの記録の残し方、新聞社から依頼を受けている憲法改正に関連したアンケートの回答方法、国会スタッフの採用について、国会事務所から岡山への情報の伝達など、様々なテーマについて検討してもらうよう指示。新しい課題ばかりだが、一生懸命勉強してくれており、頼もしい。大風邪を引きながら仕事に打ち込んでいるハスキーボイス神田とのコンビは、だいぶ軌道に乗ってきたようだ。

その後、岡山事務所の増田とも電話でやりとりし、岡山での日程やクレーム対応の進め方等について意見交換。事務所長として各スタッフの働く環境を整え、津村にも適時適切な報告をくれている。少しづつであり、まだまだだが、地元事務所の体制が立ち上がりつつあることは本当に心強いこと。国会での仕事にも力が入るというものだ。増田、山崎、根木の役割分担もハッキリしてきた。
山崎は山崎で江田選対の中核メンバーの1人として実力を発揮しつつある。根木の日程管理も情報量が一気に増え、安定感が高まってきた。

13時すぎ、昨日に続いて、衆議院予算委員会の代理出席。
きょうは木下厚代議士の代わりである。よく聞くと、大臣の答え方にも、各議員の質問の仕方にもかなり特徴があることがわかる。1時間半あまり。

15時、釜我から作業の中間報告。
「おかやまマニフェスト」の進め方は、これからが大変。衆院選候補者や地方議員各位との効果的な連携が必要である。“新しい試み”として、江田選挙の目玉にしなくてはならない。

16時過ぎ、憲政記念館で行われた、基幹労連の「国政フォーラム結成総会」に出席。地元で大変お世話になっている。

16時半、超党派の「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」が主催した中曽根康弘元首相の講演会に出席。
一番前の席に座ったので、何度も中曽根さんと目が合った。圧倒的な大物感。歴史や国家を語る語り口にも不思議な説得力があり、言葉が重い。新人議員の仲間が言っていたが、「中曽根さんは若い頃から自分は必ず将来首相になると確信して議員活動を続け、そういう前提で発言を続けてきて、実際に総理になった稀有な人材。それだけに自分が国を背負っているんだという強烈な当事者意識が感じられて、話に奥行きがある」。そのとおり。

中曽根康弘元首相 新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会

17時半から深夜まで、国会事務所でデスクワーク。
久しぶりに時間が空いたので友人を食事に誘うが、予定が合わなかったようだ。残念。実は今日だけではない。日々沢山の人と出会う一方で、大切な友人(たち)との時間が減っていく。複雑な思い。

そんな中、某全国紙の新聞記者さんが事務所を訪ねて来、1時間ほど雑談。
憲法改正に対する見方や参院選に向けた民主党の取り組みなど、率直な思いをぶつけた。わざわざ津村を訪ねてきてくれるマスコミの皆さんとは、できるだけお互いに理解しあえるようにしたいと思っている。これは“情報管理”と一体。「1を聞いて10を知る」関係を少しでも多く作っていきたい。

もうすぐ23時、そろそろ帰って休もうと思う。



 2/17(火)

二日連続の、夜行列車「サンライズ瀬戸」車中泊。やはり少々辛かった。寝る以外することがないので、睡眠時間は結構取れるのだが、体中が少し痛い。

朝7時すぎ、東京駅に到着。いつものように丸の内線で国会議事堂前へ。

衆議院第2議員会館にある国会事務所に立ち寄り、メールチェックをした後、8時から民主党の財務金融部門会議へ。本日のメニューは、特例国債発行と所得税法の一部改正に関する財務省からのヒアリング。課長クラスの方が見えていた。
津村からは、住宅税制に絡み、今回の改正が不動産マーケットに与える影響について質問をした。資産デフレからの脱却が叫ばれる中で、見ようによっては住宅価格を更に下落させる可能性がある措置に思えたからだ。担当者の方は、丁寧に答えてくれていたが、クリアな回答は持ち合わせていなかったようだ。
「不動産マーケットへの影響については、一義的には国交省が考えるべきこと」
「たしかに津村先生ご指摘のように社会政策的な一面もありまして」等々。

住宅(だけではないが)税制の変更が、市場に完全に中立的であるということはありえない。であれば、「増収か減収か」といった税収のみの議論にとどまらず、「どのような市場にどのような影響を与えるのか」といった面まで議論を尽くすべきである。財務省主税局がその任にないのなら、その任にある部署が説明を果たすべきである。どうやらどの部署も(国交省も)そこまでは分析していないようだった。縦割り行政に起こりがちな「合成の誤謬」が恐い。

9時前に終了し、事務所でデスクワーク。相変わらず机は書類の山である。

10時すぎに事務所を出て、いったん乃木坂の議員宿舎に帰る。今日は本会議があり、国会スタッフの採用面接もあるので、シャワーを浴び、身なりを整えた。夜行列車明けの格好では冴えない。11時半すぎに事務所に戻る。

11時40分、国会スタッフの面接。
昔一緒に働いた経験のある方。その方の能力からすれば、津村事務所の勤務条件は決して恵まれたものではないが、力になってくださるという。途中から食堂に場所を移し、昼食を食べながら近況を伺った。

13時、衆議院本会議。
財務金融委員会に付議される予定の特例国債の発行、所得税法の改正案が趣旨説明され、長妻議員らが代表質問。質疑は白熱し、予定よりもやや長くかかって、14時ごろ終了。

14時半、本日2つめのスタッフ採用面接。
事務経験の豊富な方で、津村とは共通の友人も多い方。きっちりとした仕事をされるという話を沢山の方から聞いているだけに、一緒に働くのがとても楽しみ。話が弾んだが、次の用事があったので、釜我に後を託して、衆議院院内へ。

15時半、予算委員会に出席。
平岡代議士の代理で、手続的には津村が1日だけ予算委員会の委員に任命される扱いになる。先輩方の質問中、迫力に満ちた場面もあって、勉強になった。ジャスト1時間のお役目。

16時半すぎ、事務所に帰って慌ててレジュメを作り、次の会合へ。

17時、自力会会合。「自力会」とは、風に頼らず、自分の力で選挙を戦おうという新人の集まり。
今日は選挙で使ったポスターを持ち寄ってお互いに研究材料にしながら、7人のメンバーが各5分づつ、「いかに戦ったか」を報告しあった。

「自力会」

津村からは、ポジショニング、地上戦(ポスター貼り)と空中戦(朝立ち)のバランス、資源の集中投入などを津村選挙の特徴として話し、保守層への組織的な切り込みが今後の課題と報告した。

他のメンバーたちの報告を聞いていて印象に残ったのは、相手陣営の動きを“典型的な従来型選挙”と位置付け、徹底して差別化を図っているケースが目立ったこと。例えば、本番中は個人演説会を1度も開かない、費用対効果の観点から電話かけはしない etc. 相当な刺激を受けた。
18時過ぎに抜け出し、近藤洋介代議士とホテルオークラへ。

18時半、西村正雄前興銀頭取(現みずほ銀行顧問)と会食。
日経新聞出身の近藤代議士、財務省出身の和田隆志代議士とともに西村さんを囲み、日本の政治・経済にまつわる広範な話題に花を咲かせた。温厚な人柄がにじみ出る西村さんだが、その見識の高さがびんびん伝わってくる。2時間があっという間に過ぎた。

21時、民主党の若手が集う「政権前夜の会」に出席。場所は赤坂。
くだけた雰囲気で約70人が参加。旧自由党のホープ的存在だった達増代議士と隣席で30分以上お話しをさせていただき、非常に興味深い話を伺った。こうした横の繋がりが増えていくことは民主党にとって良いことだと思う。一体感を感じることができた。

23時、新人議員4人で2次会。1時間半ほど盛り上がった。

今日は2人の素敵な方々が国会事務所に訪れてきてくれた。
新人として小さくスタートした津村事務所を、お2人の持っている経験やセンスで一緒に大きく育てていただけたらこんなに嬉しいことはない。元気と勇気の湧く楽しい出来事だった。



 2/16(月)京橋

朝6時半に岡山に着く、「サンライズ瀬戸」で帰岡。
駅前に迎えに来てくれていた山崎にピックされ、京橋(新京橋ではなく、古いほうの京橋)へ。ちょっと迷った挙句、小橋電停付近に場所を決め、朝立ち。
7時から8時まで、ジャスト1時間、マイクを握った。山崎は交通量調査の後、周辺で江田五月参議院議員の後援会報をポスティング。このスポットは、初めての挑戦だったが、1時間で約1500台の通行量。尻上がりに台数が増え、最後は引き揚げるのがためらわれるほどだった。掘り出し物。

続けて、JR岡山駅前に引き返し、県連の月曜恒例「おはよう730」に合流。最後から2番めの弁士として、約8分スピーチ。初めての国会質問や、今後の予算審議の見通しについて語った。

「夜行列車で岡山に帰り、→ そのまま、朝の街頭演説」のコースは、これで2度め。疲労感もすさまじいが、何とも言えない充実感がある。あまり多用はできないが、“地元での日常活動重視”を体現していく上で欠かせない基本パターンの1つになりそうだ。

8時半に演説が終了したのち、いつものように弁士&スタッフで朝食。中座し、西大寺へ。

9時半、西大寺にある財務省印刷局へ表敬訪問。
津村は、日銀函館支店時代に紙幣を扱う「発券課」に在籍していた経験がある。その頃の知識をベースに、最近の貨幣事情について俄かヒアリングをさせて頂いた。トータルで約1時間程度。

11時半、労金ビルの連合岡山事務局を訪ね、「春のなんでも相談」スタッフの皆さんを激励。
今日が最終日とのことだが、受付ファイルを拝見させて頂くと本当に様々な相談事案がある。こんなところにこそ、長引く不況の生々しい陰がある。組合もなく、こうした相談窓口の存在さえ知らない中小零細企業の実態は、推して知るべし。町を歩くことの必要を改めて感じる。
これに先立ち、同じビルに入っている自治労県本部の皆さんにもご挨拶をした。

街宣 12時すぎ、円山の事務所に戻り、速攻で昼食を掻きこむ。10分で平らげ、ただちに街宣にスタート。
今日はボランティアの皆さんが4人乗り込んで下さり、津村と合わせて5人で旧西大寺市内をクルクル廻った。カラス(ウグイス嬢の男版)を津村が担当し、手振りやビラ配り、写真撮影などを手伝って頂いた。Tさん、Aさん、Aさん、S君、どうもありがとう。

14時すぎ、JR西大寺駅前で大津にピックされ、引続き頑張ってくださっている4人と別れて事務所に戻る。

15時半、高島中学校で「学校支援ボランティア交流会」に出席。
学校支援ボランティアは、地域のみなさんの“教育力”に着目した岡山市の取り組みで、10代の学生さんから90歳の方まで広く活動に参加されている。津村が学生時代に所属していた児童福祉ボランティア“ドン・キホーテ”と相通ずるところもあり、共感。今後、スタッフとして参加する機会を探してみたい。

17時すぎ、松下電器のビデオ工場を訪問。
社員の方が50人ほど集まっていらっしゃる前で、国政報告をさせていただく。約10分。日本の政治に“経営センス”が求められているという話を、最近の時事的なテーマに触れながら、お話しした。その後、さらに1時間、10人ほどの方々と懇談会。製品の需要動向や市況、新製品のマーケティング手法など、密度の濃いお話をここでも“ヒアリング”。生きた経済の勉強。

松下電器 国政報告

19時、円山の事務所に帰り、デスクワーク。上京の準備。

21時すぎ、長くご近所でお世話になったボランティアのNさんと食事。

22時半、JR岡山駅か夜行列車「サンライズ瀬戸」に乗り、上京。2日連続の車中泊。

最近メールのお返事が滞っており、失礼を重ねている。大きな課題。


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2004/2/16-21

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