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10時、デスクワーク。
日韓会談の要望書を受け取る |
ポスター貼り |
11時、金昌男アジア国際センター代表理事が来訪。
「日韓シャトル首脳会談岡山誘致」に関する要望書をご持参になり、しばし懇談。26日の衆議院決算行政監視委員会における質問で私が金さんのお名前を挙げながら日韓の民間交流について触れたことについて、金さんからお礼を言われる。今後の議論次第だが、岡山誘致実現に貢献していきたい。
11時半、昼食。
12時半、事務所を出発し、西大寺方面へ。
13時、岡山市の雄神学区で、ポスター貼り。
田中、田口、丸山と私の4人で地域の全戸を訪ね、ポスター掲示の依頼をして歩く。道路沿いのスポットを含め、まずまずの成果。
17時半、事務所に来客。
19時、ボランティアスタッフ懇親会。
私が日銀を辞めた3年前以来、数多くのボランティアさんに支えられてきた歴史がある。そんなボランティアさんたちに声をかけ、懇親会を開催。前日オファーの急な開催だったこともあり、参加された方はほんの一部だったが、それでも20人ほどで楽しいひととき。菅源太郎君も、忙しい中を駆けつけてくれた。
ボランティア懇親会 |
菅源太郎君も来てくれました |
午前の新幹線で、帰岡。
私の日程管理ミスで、当日の朝になって「メーデー」を欠席することになりました。さらにその連絡が速やかに伝わらず、関係者の皆さんに二重三重のご迷惑をおかけする結果となりました。この場を使い、改めて、おわびします。
メーデー後片付け |
14時過ぎ、JR岡山駅到着。
14時半、連合岡山主催メーデー。
終了間際に駆け込む形で、各テントにご挨拶まわり。お詫びすべき方にお詫びし、ご挨拶すべき方にご挨拶しているうちに、片付けの時間となり、最後にスタッフの皆さんの前でマイクでご挨拶。最後までご配慮いただいた。
15時40分、大賀島寺権現祭り。
瀬戸内市邑久町豊原の大賀島寺(おおがしまじ)で毎年行われる権現祭りに初参加。“シャギリ”“餅投げ”など華のあるお祭りで、大いに盛り上がっていた。
シャギリ |
大賀島寺の餅投げ |
16時過ぎ、同打ち上げ。
祭りのスタッフを務められた保存会の皆さんが客殿に集まり、打ち上げ。30人ほどの皆さんと一緒にお酒を頂いていると、台所のまかないの皆さんから声がかかり、ご挨拶。何ともアットホームな雰囲気で、地域のお祭りの温かみを感じる。ついついお酒が進みました。
メンバーのお1人がJR西日本の運転士さんで、「日勤教育」の問題点について力を込めてお話をされていたのが印象的だった。
まかないの皆さんと |
客殿にて |
10時、民主党役員室「岡田代表補佐チーム」会議。
GWの前日とあって出席者は数名と少なかったが、岡田代表も出席され、密度の濃い会議となった。補選の反省、GWの外遊、都議選対応などが話題となる中、私からは経済界との交際について進言。代表のお考えも伺うことができた。次の総選挙に全てを賭ける代表の真摯な意気込みが伝わってきて、改めて戦慄に近い緊張感を覚える。
友達からのプレゼント |
午後は、ひたすらデスクワーク。
今年のGWは、10日間地元岡山に張り付く予定。この間の作業について指示を出したり、瀬戸内市議選への対応について相談をしたり。時間はいくらあっても足りない。
20時、会食。
日銀時代の先輩、同期に最近知り合った国際派の友人たちを紹介。渋谷、青山。
9時、衆議院財務金融委員会。
14時、民主党正副幹事長会議。
衆議院院内第24控室にて開催。川端幹事長を中心に、2つの衆議院補選の総括の議論がなされた。ある代議士からは、今後のためにも執行部の責任の重さを再認識してほしいとの要望がなされた。前向きな意味での議論と受け止めたい。
16時、衆議院国土交通委員会。
和田隆志代議士の差し替えで、採決に出席。大きな委員会で菅直人「次の国土交通大臣」ほか与野党とも多彩な顔ぶれ。
17時、岩国哲人代議士と打ち合わせ。
GW後に取りまとめる予定の公的債務管理WT「中間報告」案を、関係代議士に配布しご意見をお願いしているが、早速岩国代議士からお電話があり、佐竹政策秘書を交えて打ち合わせ。マニフェストとの関連や、文章の「てにをは」に至るまで、詳細なアドバイスを頂いた。
17時15分、民主党役員室会議。
この席でも、補選の反省を巡る議論が出た。もっとも執行部の責任を問う意見はほぼ皆無で、今野東代議士の辞職に伴う今秋の宮城1区における補選への対応など、先行きを見通した建設的な意見も多くみられた。
19時、国のかたち研究会「記者懇談会」。
少し遅れて出席したところ、ちょうど開会のタイミング。またまた荒井事務局長からご指名があり、僭越ながら“乾杯”のご挨拶。大いに盛り上がった。
21時、凌雲会。
やはり補選についての感想が多く出る。岡田代表を支えて党を盛り上げて行こうという思いは皆同じ。
早朝6時半、東京着。
昨日と同じ記述ですが、間違いではありません。2日続けて夜行列車です。岡山でも東京でもそれぞれ外せない仕事があるということ。充実感を伴う、心地よい疲労感です。。。
8時、国のかたち研究会。
一昨日の福岡&宮城における衆議院補選結果を踏まえて緊急のミーティング。宮城の岡崎トミ子代議士や福岡の藤田一枝代議士から総括的な報告があり、応援に加わった私たちからも順次意見が述べる。荒井事務局長から「若手の皆さんからどなたか意見はありませんか。津村さん、どうですか?」と最初にご指名を受けたので、「現地には合わせて4回入りましたが、個別の結果について評価分析をできるほどには選挙の全体像を掴めませんでした。ただ、応援に入った同僚議員と意見が一致したのは、補選と総選挙では戦い方が違うということです。補選に弱い民主党というイメージを払拭していくためにも、補選の戦い方について議論を深め、次に繋がるノウハウを確立していくことが前向きかつ必要な取り組みと思います。後向きな反省や責任論ではなく、次に繋がる議論が重要と思います」と述べました。阿久津代議士からも同調して頂き、1時間を超える意見交換の後、最後は岡田執行部を支えていくことを確認して、会は終わりました。
安保委での質問風景 |
10時、衆議院安全保障委員会。
防衛庁設置法について、3人の学識経験者から意見聴取をし、その後質疑が行われた。私は、民主党を代表して15分間の時間を与えられ、質問。
11時半、再び、衆議院財務金融委員会。採決。
12時40分、代議士会。
13時、衆議院本会議。所要1時間40分。
中根康浩代議士が代表質問に立った。
決算委で質問 |
15時45分、衆議院決算行政監視委員会第1分科会。
本日2つめの質問。「日韓シャトル首脳会談岡山誘致」について逢沢外務副大臣に質問。予想以上に議論が延び、防災無線等の質問に充てる時間がほとんどなくなってしまった。
その後、地元のマスコミ数社から問い合わせ。衆議院記録部から速記録を取り寄せ、正確に対応するよう努める。
19時、日銀の先輩&TV局記者との会食。
赤坂の居酒屋にて、日銀時代に何度もお仕えし、退職の際にも逸早くご報告した尊敬する上司と、最近知己を得た金融庁担当の3人の記者さんと計5人で会食。
楽しいお酒で、あっという間に時間が経つ。
日本の未来を思いながら日々仕事をしているのは、先輩も私も同じだ。ましてや日銀時代は、同じ職場で同じ夢を持って働いていた。少なくとも私はそう思っている。立場こそ違え、これからも一緒に良い仕事をしていきたい。心から思う。
早朝6時半、東京着。
岡山から夜行列車に乗って上京。今日はハードスケジュールなので少しでも身体の負担を軽くしようと思い、乗車直後から8時間睡眠。検札よりも早く眠ってしまったために、東京駅到着時に再度車掌さんが私の寝台室にやってきた。
7時過ぎ、国会事務所へ。
明日の質問に備え、質問通告のレジュメを作成。今回も2つの委員会で同じ日に質問。もっとも、安保のほうは参考人への質疑でアドリブも可能なため、今日は決算行政監視委員会での質問について準備。同委員会では地元関係の質問をすることが一般的なため、「日韓シャトル首脳会談岡山誘致」について採り上げる。
10時半、質問通告。
内閣府、外務省、総務省消防庁の事務方(官僚)を順番に呼び、明日の質問についてレク。
11時半、地元紙記者との懇談。
明日の質問は地元関係であるため、その概要について地元紙記者に解説。公平を期すため、他紙や他局向けにもレジュメを作り、岡山県庁にある記者クラブ宛てにFAX。
12時半、新幹線で帰岡。16時過ぎに到着。
16時半、ある団体の展示会。増田公設第一秘書も随行。
18時半、岡山県の生保会社で働く皆さんと政策勉強会。
岡山国際ホテルにて、生保業界の職場リーダーの皆さんと意見交換。私からは簡単な自己紹介の後、生保の銀行窓口販売に関する国会での質疑の模様と、ポスト・金融ビッグバンの国家戦略のありかたについて10分程度で説明。その後、出席者全員から職場での話題や政策課題について、質の高い報告がなされた。参加は20名程度。
生保で働く皆さんと |
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20時、同懇親会。
上記のメンバーが隣の部屋に移り、中華料理をツマミながらの懇親会。津村事務所からは、津村のほか、良三、増田が出席。2人とも、生命保険会社での勤務経験がある。殆ど全ての方と膝を交えて懇談。この場をセットしてくださった方々に心から感謝。
21時半、岡山事務所。明日の質問に関連し、資料をピックアップ。
22時半、夜行で上京。「サンライズ出雲」。
1日で東京・岡山間を一往復半、しかも2日連続で夜行列車というのは、なかなかヘビーなシチュエーション。
ともあれ、明日は質問ダブルヘッダー。仕事が出来るのは幸せなことだ。頑張るしかない。
2005/4/25-30 |