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2007年10月27日
(津村啓介衆議院議員の36度目の誕生日に寄せて)
目次
【前書き】「愛し合う〜2人 幸せの空 隣ど〜し あなたとあたし さくらんぼ〜♪」
大塚愛の「さくらんぼ」を街角等で耳にすると、僕はいつも思い出します。2005年の夏のことを。
このインターン日記は、2005年夏に岡山の津村事務所でインターンに取り組んだ仲間たちが、当時の様子を思い出しつつ記したものです。津村事務所では、各期のインターンが、日記やマニュアルと言う形でインターン中の成果物を発表しています。おそらく、どの期のインターン生も、インターンが終了したら何らかの成果物を残すことを津村さんと約束しているはずですが、2005年夏にインターンに参加した3期生には、そのようなものが存在しませんでした。何故か?それは、2005年の夏は郵政選挙の行われた時期にあたり、僕達のインターンにとって、津村さんの小選挙区当選こそが成果物であったからです。と言えば、聞こえは良いですが、ようするに選挙期間のドタバタに紛れて、いつの間にか、成果物の話がうやむやになってしまったのです。
でも、この時の経験は本当に貴重なもので、むしろこのようなインターンこそ記録を残しておいた方が良いのではないかと今更ながら思うようになったのが、僕たちがこの日記を作ろうと思った理由です。記憶を遡って、作られたものなので、必ずしも正確でない部分もあると思いますが、今だからこそ書ける話等もありましたし、ご容赦願えればと思います。
※冒頭登場する「さくらんぼ」は、選挙期間中、津村さんが好んで車中で聞いていた曲で、第3期のインターン生はこれを何百回と聞いたので「さくらんぼ」を聞くと、パブロフの犬的に手を振り始めたり、「津村を宜しくお願い致します」と叫び始めたりする等の症状が現れます(笑)。2005年夏インターン一同
今回のインターンは選挙戦中ということもあり、同日同時刻にインターン生が同じ場所にいるという事例はあまり多くありませんでした。そのため、収録された日記についても、担当者が体験したことしか汲み取れていません。同じ時刻に他の場所にいたインターン生がなにをしていたか、さらに言えば候補者がいた場所とは別の場所の記述しかないものも多々あります。
しかし、どこにいても、なにをしていても、当時のぼくたちが「津村啓介」という存在をできるだけ多くの地元の方々に知ってもらいたい、“若い力”を国会に送りたいという一念に突き動かされていたことは事実です。そして、結果としてその思いを実現できたことは今でもぼくたちひとりひとりにとって誇りです。そのようなことを踏まえ、今回は各日記の日付に文章担当者の名前だけでなく、その日岡山にいたメンバーの名前を記すことにしました。
メンバー紹介とともに読んでいただければ選挙戦全般のインターン生の動きなどもわかり、面白いかもしれません。文体などから筆者も想像できそうですが、当時一緒に選挙戦を戦った支援者の皆様などが懐かしく読んでいただければそれもまたぼくらにとって大きな喜びです。
【メンバー紹介】 丸田(東大1年 男)
空気を読めるお坊ちゃん!岡山の地理や道を覚えるのが早く、理不尽なことがあった時の気持ちの切り替えも早い。常に皆に目を配って協力を惜しまない、1年生ながら、しっかりしつつもハイテンションなみんなのまとめ役的存在。
福島(首都大学東京1年 男)
爽やかイケメン。新聞社の取材ではとても写真写りがいい上にど真ん中にいたため、津村さんより候補者っぽく見えてしまったことも。夜のコインランドリーでは若い力Tシャツを延々と洗濯していた。いつでも笑顔で仕事をこなす、かわいい最年少組の一人。
Yちゃん(T大1年 女)
個性派いじられキャラ★片野さんとの同棲生活ではゴキブリと蜘蛛とコウモリを退治するほか、あらゆる状況にも対応できるメンタルの強い子。新聞の記事集め係として印象を残す。頼まれたことは黙々と、そして丁寧にこなしてくれる、かわいいもう一人の最年少組。
片野(東大2年 女)
“姫”。芯が強く、粘り強い根性のある人。大きな瞳の力強い眼差しで、街宣もお祭りでの名刺配りも、何一つ決して手を抜くことなく頑張っていた。責任感が強く、任せられたこと、やらなくてはいけないことにものすごい力を発揮する。意外と辛口なところがまた魅力。
峰越(筑波大3年 男)
色白飲み会キング。消防団にお邪魔した際には、やたら飲んでいた。事務所内での人間観察と車の運転に能力を発揮。よくしゃべり、やる気があるのか無いのか分かない様子で、目を離すと飲みすぎたりして、いつしかその場の空気に溶け込んでいる。メガネをはずすとイケメン。
坂本(慶応大4年 女)
のりのいい人。それでいて、みんなが前に進みだしたときは最後尾にまわってくれる。基本、笑顔?有能さをやさしさでくるんだような逸材。巨大な地図と格闘しながら、先陣をきって選挙区の練り歩きをしていた。「ゴーゴー津村!」。女子最年長。
菊池(一橋M2 男)
「金融庁内定」「ボクシング部」のキーワードが周囲を圧倒するが、男性陣のなかでは、常に尻拭い役。街宣カーに常勤、事務所では車内の備品準備に奔走。看板、マイク、のぼり、手袋、ビラ、飲み物、傘、カッパ、お菓子、…。みんなの兄貴分、いつでも短パン。
【インターン日記】
8月4日(木) 「長島愛生園訪問」 (峰越)
インターン生の先陣として岡山にやってきて早二日、ニュースにおいて解散が噂されており、事務所において選挙対策に向けての動きはあったが、この直後に経験する激動の一ヶ月に比べるとまだゆっくりとした空気が流れていた。私の仕事といえば事務所での仕事がメインであったが、この日は長島愛生園で開かれた夏祭りに議員と同行できることとなった。私はそれがどのような施設であるか露ほども知らず、ただ議員と同行し、様々な人と触れ合える機会が与えられ、単純に嬉しく思っていた。
長島愛生園は悲しい歴史によって作られた施設であり、国立らい療養所を起源とする。療養所とは名ばかりで1996年4月1日までハンセン病患者の強制収容所であったという。かつてハンセン病はらい病と呼ばれ、そこには穢れや差別の要素が付きまとい、発病した者は家族からその存在を抹消され、国からは強制隔離された。治療可能となった今でも高齢と病気の後遺症による障害、さらにかつて強制的に行われた断種手術、堕胎手術のために子供がいない元患者が多いことから、介護を必要として療養所に入所し続けている人がほとんどだという。現在この施設は、負の歴史の贖罪の為に存在しているのかもしれない。
そのような話を職員から聞き、社会見学気分で施設にやってきた自分を恥じると共に驚かされた。祭りでひょうきんに踊る施設の住人からは、そのような悲しさを一切感じさせなかったからだ。だが居住区に足を進めると、外部の人間と触れ合うのを怖がり祭りに参加しない者が多く存在しており、私の姿を見ただけで窓を閉め拒絶の態度を示す者さえいた。未だ負の過去に苦しめられているたくさん人たちがいることを思い知らされた。
国政の場において国民の総意が反映されなければならない。マジョリティーだけではなく、このようなマイノリティーと呼ばれる人々の声も汲み取り、それを国政に反映させる必要がある。しかし本当にそれが反映されているのか。議員と共にこのような形で様々な人と触れ合い、何故議員が自らが人生を賭して、国政というフィールドを選んだか、少しだけ理解できた気がした。
8月8日(月) 「衆院解散とポスター貼り」 (峰越)
夕刻、衆議院は解散され、郵政改革の是非を問う総選挙が行われることとなった。前日より事務所は衆議院解散・総選挙を想定した打ち合わせが行われ、また朝からは郵政法案が否決されるのかと皆の緊張感は高まっていたが、テレビで解散の速報が飛び交うと、予想していた事態が現実のものとなり、秘書やボランティアの顔つきが一気に変わった。実際にこれから始まる選挙戦への覚悟が皆の顔に表れた瞬間だった。
私は秘書からはこれからの取り組みについて説明された。議員や秘書との同行スケジュール、ポスターの貼り区や、配布用のビラ作り、など説明された。私のインターンに対する認識が、社会見学的なものから一つの戦いへと様相を変えていくのを感じた。
ところで選挙や政治活動にはポスターが付き物であるが、あの大量のポスターがどのように貼られているかご存知だろうか。印刷所で印刷されたポスターに自分たちの手で両面テープを貼り、それを秘書・ボランティア・インターン一人一人が地域を回ることで貼られていく。一見すると単調かつ気の遠くなるような作業ではあるが、当選する一助となりたい、応援したいという思いは、面倒くさいなどといった感情などかき消してくれる。この日、ボランティアとインターンはそれぞれの思いをポスターに込めながら、皆真剣に作業に取り組んでいた。有権者にメッセージを伝えたい、そのような思いによってポスターをはじめ、ビラ作り、ビラの配布などの作業が行われているということを知ってくれたら幸いだ。
8月11日(木) 「混戦岡山!国政報告会」 (峰越、丸田、Y)
ポスター貼りの作業を行うため車での移動中、ラジオよりニュースが飛び込んできた。かねてから噂されていた、現職の萩原岡山市長が衆議院岡山2区で自民党公認として立候補したと伝えたのだった。津村議員対熊代議員の一騎打ちの構図が大きく塗り代わり、主要候補が三人になり岡山二区は混戦の様相を極めてきた。
その日は緊急国政報告会が(場所不明)で開かれることとなっており、三十人も入れば満員といった部屋にもかかわらず、それ以上の支持者が駆けつけ、部屋は熱気で包まれていた。支持者からは速報を聞いて不安に思ったのか、さまざまな質問が飛び交ったが、議員は一つ一つの質問に丁寧かつ的確に答えることにより、支持者の不安をかき消し、議員と支持者の絆をより強固なものにし、その場は幕を閉じた。
これまでビラ配りや朝立ちにおいて自らの一票を無力なものと考えたり、政治が自分の生活とは遠いものと考える人たちと直面し、一般の人にとって政治とはこんなものかという軽い失望すら抱いていた。だが熱心な支持者に触れることで有権者への認識が大きく変わった。戦っているのは立候補者だけではない。有権者もまたそれぞれの一票という武器を持って、この国を変えたがっているのだ。議員の熱い思いが有権者の意識を変えると共に、有権者の思いもまた議員を変え、共闘していくのだ。支持者と議員の理想的な関係を見ることができた貴重な一日であった。
8月21日(日) 「マイクがない!」 (峰越、丸田、Y、菊池、片野、福島)
多くの若者でにぎわう夕刻の繁華街「天満屋前」での演説を数分後に控え、現地に向かう車内で私達インターン生は途方に暮れた。街頭演説で使用するマイクとスピーカーが積まれていないのだ。前日準備したはずなのに・・・。午前中に休みをもらっていた気の緩みから、出発前に確認を怠ったためのミスだった。しかし昨日のことを必死に思い出して現在それらの物がどこにあるのかをつきとめるのに、全員の記憶力と思考力を合わせれば1分もかからなかった。大至急秘書さんに連絡して届けてもらい何とか間に合ったと思った時には、既に津村さんは車から降りて道行く人々に挨拶と握手をしていた。
ピンチを切り抜けた安堵も束の間、今回は津村さんに代わってインターン生が演説することになっているのだ。通りを行きかう大勢の人達の目に私達はどう映るのだろうか。せめて自分たちが津村さんを一生懸命応援しているのだということが伝わり、印象に残ってほしいと願いながら、なにやら支離滅裂なことをしゃべった記憶も今となってはかけがえのない思い出だ。
8月23日(火) 「菅直人さん来援!」 (Y、片野、菊池、福島、坂本)![]()
13時頃、上道・西大寺方面の街宣から戻ると事務所はいつもにも増した緊張感が漂っていた。郵政民営化関連法案に反対した熊代氏の出馬断念と萩原岡山市長(当時)の出馬表明により全国的な注目を集める激戦区となったここ岡山2区に、今日の夕方菅直人前代表(当時)が来援されるのだ。インターン生等に任された仕事は街頭演説会場の設営と演説中のビラ配り等で、前日夜遅くまでミーティングをし、当日も予定時刻のかなり前から現場で待機して用意周到にその時を待ち構えていた。16時20分、ついに菅さんと津村さんの乗った街宣車が到着、約20分間の演説が始まった。ほんの数分の間に、道路反対側と隣接する大規模な駐車場は多くの買い物客とボランティアの方々そして報道陣で埋め尽くされた。私たちはその間を縫ってホームページ用の写真を必死に撮影、熱心に耳を傾けてくださる方々にお礼の挨拶とビラを渡して回りながら党幹部が来援することの影響力の大きさを改めて実感していた。
演説終了後そのまま地元の盆踊りに随行。先ほどまでの緊張感が抜け切らぬ私達に対して津村さんは、「ここでは選挙を忘れて地元の方々と打ち解け、楽しみましょう!」と言ってくれた。この盆踊りはこれまで同伴した中で最も小規模の類のものだった。交流できた人数は決して多くはないけれど、踊りやゲームを通じて同じ時間を共有していると心から感じたひとときだった。
8月25日(木) 「選挙対策車」 (片野、菊池、福島、坂本)
岡山に来てから、もう何日が経っていただろうか。それは、選挙公示まであと5日という時期だったと思う。僕は、津村さんに呼ばれ、言われた。「選挙期間が始まったら、君には選挙対策車の毎日の準備をしてもらうよ。」突然のことだったので、とてもびっくりした。2週間の滞在を経て、岡山でのインターン生活に慣れてきていたとは言え、まさかそのような大役をインターン生にやらせてくれるとは思っていなかったからである。
ここで、選挙対策車の準備とは何かを少しだけ、説明させてもらいたい。選挙期間中、立候補者は街宣車に乗って選挙区間を街宣して回るのだが、街宣車1台で回る訳ではなく、まず先導車(先導車が2台の場合もある)、次に立候補者が乗る街宣車、最後に後続車と続く。先導車は、あらかじめ決められた街宣ルート通りに街宣車を誘導しつつ、選挙民の方々をいち早く発見し、街宣車の立候補者に知らせるのが役目である。やはり、立候補者にとって大事なことは、少しでも選挙民の方々に顔を覚えてもらうことである。選挙期間中は少しでも多くの人と交流を持つこと重要(もちろん選挙期間以外にも津村さんは、精力的に地元の人たちとコミュニケーションをとっていたが)であり、演説、ビラ配り、握手等と共に、街宣車から立候補者自身が、一人でも多くの選挙民の方々に「宜しくお願いします!」と語りかけるのもまた、選挙期間中の貴重なコミュニュケーション・ツールなのだ。先導車が機能しなければ、立候補者が選挙民の方々に直接語りかけるチャンスを失うことになり、選挙結果にも響いてくることにもなりかねない。
先導車の後には、街宣車が続く。街宣車にはもちろん立候補者が乗っているのだが、その他にも立候補者をサポートする人たちや様々な選挙グッズが満載されている。マイク、スピーカー、のぼり、かぼちゃ(のぼりを立てる時の土台)、立て看板、無数のビラや名刺、手袋、蛍光ライト(ライブ等でも使われるもので、夜の街宣時にはこれを振って、アピールする。)等等等。また、サポートの方々も重要である。街宣隊はただ走っているだけではない。熱心な支持者の方々が、家の外にまで出て来て手を振ってくれることもある。そんな時は、立候補者の体力の見せ所、とにかく走って走って握手しまくるのである。サポートの方々も立候補者に続いてビラや名刺を配ってしっかり立候補者を認知してもらわなければならない。それに加えて、タイムキーパー的役割も果たさなければならない。なにしろ選挙区は広大である。もちろん、今の地区も重要なのだが、他の地区も回らなければならない。まだ、握手したりないという立候補者を抑えて、また街宣車まで連れ戻すことになる。
最後に続くのが、後続車である。後続車は先導車や街宣車が声をかけ逃した方々に、呼びかけていくのが役目。特に、街宣隊は時にはかなりのスピードで移動しているため、家の陰にいる方やマンションの上の方の人の存在に気づかないことがある。後続車は、まさにそういった方々に、声をかけてくことが役割である。また、街宣隊が交通渋滞の原因とならないように、後ろに一般の方の車が詰まっている場合には、先導車、街宣車に道を譲るように支持することも重要である。
僕の仕事は、これら街宣隊が朝出発する時には車に乗り込むだけで良いように全てのグッズを準備しておくことであった。津村さんにこの役を任されたのはいいものの自分には、少し荷が重いのではないかと思うと同時に、1インターン生にもきちんと仕事をさせてくれる津村事務所の方針に感動したものだった。しかし、選挙前の時点では、まさかあんなにハードな毎日が訪れるようとは思いもよらなかった。
8月30日(火) 「いざ出陣!」 (片野、菊池、福島、坂本)
とうとうこの日が来た。選挙公示日当日の朝、本部事務所への引越しを終え妙にがらんとした旧事務所に出勤すると、これから始まる12日間の激戦を感じさせないような静かな緊張感が私達インターン生を包んでいた。
出陣式の交通誘導の仕事を終え出陣式会場に向かったのは午前9時過ぎだった。歩いていく途中の幹線道路には各氏の挨拶と拍手喝采がとどろき、いつもの見慣れた通りが全くの異空間に感じた。津村さんの出陣挨拶が始まったのはちょうど私達が会場に着いたころだった。これまで見たことのないほどの迫力あふれる演説を聴きながら「いよいよだ。昨日までの活動と今日からのそれはぜんぜん違う意味を持っているんだ。」と感じた。
さて、全ての挨拶が終わりいざ出陣である。昨日まではインターン生とボランティアの方々だけで使っていた街宣車は、候補者としての正式な看板を掲げ、身を乗り出し手を振りやすいようにと雨よけを取り外された助手席に津村さんを乗せ、大勢の支援者が見送る中を華々しく、そして堂々と出発して行った。
今日からは津村さんに同伴できる時間はほとんどないのだ。これまで以上にインターン生で力を合わせ、自分たちにできる最大限のことを見つけ実行していかなければならないと気持ちを引き締めたのだった。
9月2日(金) 「選挙戦とはこういうものか」 (菊池、福島、坂本、峰越、丸田)
この日、ぼくは峰さんとともに東京から再度岡山にやってきた。東京駅で待ち合わせて、岡山まで一緒だったわけだが、しゃべりすぎて車内で怒られるなんてこともあったりなかったり。夕方には岡山駅に降り立った。数週間とはいえ岡山を離れたせいか、ちょっと事務所のドアを開けるのが照れくさかったのをおぼえている。(実は駅前のミスタードーナッツで時間をつぶすなんてこともした。これはあんまり早くいくとありがたがられないなんて計算もあった。)
とはいえぼくらは浮かれていた。軽いOB気分(数週間前には必死だったのにだ!)というか、若い力Tシャツも着てないし、表敬訪問のようなつもりだった。同窓会にいくときのような、根拠もないのになんとなく歓迎されそうな楽観的な期待でいっぱいだった。今思えば非常に子供じみた感じもするが、そんな観光気分も扉を開くと一変した。
「お久しぶりでーす」
「あ、ひさしぶり」
返事があるのは端に座っている秘書さん一人。全体の空気として声を潜めている感じ。あきらかに今日なんかあった感じだ。すぐに扉をしめたくなった。
空気を読むに敏な峰越さんをみて、悟る自分。とりあえず、何食わぬ顔してソファにすわって、秘書さんからお茶をいただこうとしたそのとき、ひびく怒声。怒鳴られているのは―菊池さんでした。ああ、菊池さん。
ぼくと峰越さんの浮かれ気分もどこへやら、選挙戦本番の緊張感を一瞬にして悟らせた事件の顛末はまたの機会に。
9月4日(日) 「一期一会」 (菊池、福島、坂本、峰越、丸田)
この日、男性陣のテンションは俄然あがっていた。投票日が一週間後にせまったから?いえいえ。男性陣が勢ぞろいしたうえ、事務所から下賜されたミラを乗り回せるようになったから?前日、Nさん、Iさんに女性陣も含めたインターン生全員海につれていってもらえたから?
全然、ちがうところにぼくらのボルテージを最高潮に上げる存在がいました。それは数日前からボランティアで東京からきているという女性でした。その女性をぼくが見たのは前日でした。街宣を終え、事務所前のもともとガソリンスタンドであったところをうろうろしていると、こちらも街宣から帰ってきた車から颯爽と降りてきたのが、そのひとです。
これは一大事と、峰越さんに走っていって、話すと「一緒にすし食った。」とか言い出す始末。帰りの車でも質問攻めをつづけると、昼間の酷使で死に体のはずの菊池さんが起き上がり、これまた質問攻め。あまり興味のなさそうなイケメン福ちゃんを尻目に男三人のテンションは俄然上がったのでした。
さあ、まえふりが長くなっていますが、そんなこんなで朝です。川沿いの朝市です。一区の自民・民主候補も現れるなど語ることは多いイベントですが、ぼくらにとってはその後の行動班分けが重要です。津村さんの指示で分乗します―なんとぼくと峰越さんは意中の組に。恨めしそうな菊池さん。菊池さんはどこか遠くに連れて行かれてました。
とはいえ、ぼくらもその女性とはまだ口もきいていない。というより、あちらからすればこちらのテンションの高まりなど知る由もない。というか、ぼくと峰越さんは今日が最終日。なんとかせねば、ぎこちなく話しかけると、なんとあちらも今日帰り!
完全に不自然ながら「一緒に帰らないとまずいですね」、「じゃ、帰るとき連絡したいんで」とめちゃくちゃな攻め。(とはいえ、これはのちファインプレイと褒められる。)
そんなこんなでうちとけると、午後の仕事は坂本さん考案の町内練り歩き作戦。看板もって、「津村啓介」を連呼するという古典的な焦土作戦。しかし、これが意外に効果あり。こちらの恥も外聞もない、取り繕わない姿に道行くひともこころを開く。遠くから小学生も走ってくるくる!こういうゲリラ的なものを涼しい顔でできて、ひとにもやらせてしまう坂本さん、うちの期での存在感が伝わるんじゃないでしょうか。
で、その女性ですが。なんと一緒にやってくれたんです。というか、むしろ一番楽しそうでした。猟奇的な彼女を通り越して、もはやデスパレートでした。
東京の大手町で会っていたら、こんな彼女には会えなかったでしょう。日暮里で会ってたって、こんなことにはならなかったはずです。岡山だから。岡山だからです。ぼくは岡山が大好きです。
その後ですが、新幹線を同じ時間にしたまではよかったんですがあちらは指定席、こちらは自由席、おまけに考えられないくらい混んでいて、自由席に一緒に座ることも叶わず、彼女は「サヨナラ〜」って感じで指定席車両に。ふたりになった瞬間からの男ふたりの罵り合いはここでは割愛します。
9月某日 「秘書さんからの叱責、津村さんのすごいところ」 (菊池、福島、坂本)
「菊池!お前、責任ある仕事したいって言ったんだろう?だったら、見せてみろよ。支持者の人たちに納得してもらえる仕事してみせろよ。」
選挙期間も後半戦に突入しようするある日の夜のことであった。インターンに過ぎない学生に選挙活動を任せて良いのかというご批判が支持者の一部の方からあがったようで、M秘書が僕を痛烈に叱り飛ばした。もちろん、長年の経験を必要とする選挙活動に社会人にもなっていない学生が、貢献できることなどたかが知れてはいるが、一方で、自分も含めてインターンの全員に何らかのミッションが課されていたことも事実である。日頃から、津村さんを応援している熱心な支持者の方からすれば、突然岡山にやってきたどこの馬の骨ともわからない学生に選挙活動を手伝わせることなどとんでもないとお考えになるのもやむをえないことだったと思う。だからこそ、M秘書の冒頭の言葉があったのだと思う。確かに、当時の僕にはまだ物見遊山的な気分が残っていたように思う。正直に言えば、この事件以降もM秘書の期待に応えられるような仕事ができたとはとても言えないが、少なくとも当時は自分のできる限りのことをしようと思った。今でも、この時のM秘書の叱咤を思い出して、自分を発奮させることがある。それぐらい、身に染みた言葉だった。
そして、津村さんはインターン等比較にならないくらい大変だったと思う。夏の炎天下で走りまくっていたのである。日射病のような症状で、動けなくなってしまったこともある。もうこの日の選挙活動は終了かとも思っていたが、小一時間ほど休憩をとると、またいつもの元気いっぱいの津村さんになっていたのには、びっくりした。また、街頭演説中に、声がうるさいとか邪魔だとか白い目で見られることもあった。そいうことがあると津村さんは少しだけ落ち込む。でも、すぐに気持ちを切り替えて、落ち込んだ様子など、支持者の人たちには全く見せない。すごいと思った。
選挙期間最終日にもなると、いよいよ津村さんの声もつぶれてきた。正直遠くからだと何を言っているのかわからない。でも、それが逆に津村さんが11日間手加減なく戦ってきた証にもなっていた。最終日夜、街宣隊が津村さんの支持者の集結した地点に戻ってくると、そこで最後の街頭演説を行った。多数の支持者の方々がペンライトを振っていたので、とても幻想的だった。そして、これで選挙活動も終わりなのかと思うと、何かこみ上げてくるものがあった。
9月11日(日) 「選挙戦最終日・・・そして開票。」 (菊池、福島、坂本、片野、峰越)
前日、最後のお願いを終えるともう「津村啓介をお願いします」等特定の人に投票をお願いすることは、法律上禁止されている。しかし、まだ投票に行っていない人に投票所に行ってもらうようお願いすることはできる。江田さんのご自宅から、津村さんの支持者のリストに記入されている番号に電話をしていき、投票をお願いする。最初は、噛んだりしたが、すぐに慣れてきた。夕方3時くらいに電話をしたのだが、まだ投票していない人も結構いたので、この仕事も最後の一押しになった気がする。
午後7時も過ぎると、各テレビで選挙速報が発表され始めてくる。津村さんも自分の部屋でインターンと一緒に速報結果を待つことにした。戦前のマスコミ等の下馬評では、前回小選挙区で当選している熊代氏が立候補を辞退したこともあり、津村さんが順当に当選するのではないかと言われていたらしい。しかし、津村さんはそのような見方は甘いとおっしゃっていたし、事実選挙期間に突入すると岡山市市長を辞めて出馬した萩原氏の優勢を伝える声も無いわけではなかった。実は国会議員になることだけを考えれば、小選挙区で落選しても、比例区で当選する可能性はある。前回の選挙では、津村さんは、比例区での当選だったのだ。しかしそこはやはり前回の選挙からのステップアップを期す津村さん、どうしても選挙区で勝たなければならないと常日頃おっしゃっていた。それだけに、途中経過で津村さんの得票数が、萩原氏の得票数を中々突き放せないでいる時は、どうなることか思った。インターンの皆も、緊張の色は隠せない。むしろ、津村さんが皆にもっとリラックスしようと声をかける始末で、本当は逆でなければいけないのに、ダメだったなと反省。
岡山3区の柚木候補の当選確定等が報じられてから2時間もたってからであろうか、ついにNHKで津村さんの当選確実の報道が流れた。津村さんは急いで服を着替えると、会見舞台が設営されている事務所まででかけていった。僕らも続いた。支持者や民主党の職員の方々等が津村さんに次々と祝福の声をかける。マスコミも集まってきている。津村さんの当選後のインタビューを収録するためである。インタビュー後は、支持者の方々とともに「Go!Go!ツムラ!」を合唱して締めた。ちなみにインターン生の中で、この瞬間を激写されて、翌日の各紙の1面を飾った奴がいる。彼は、次の日発売されていたあらゆる新聞紙を買いあさり、今も大事に保管しているという。
9月14日(月) 「選挙戦勝利後、日常に戻って」
興奮冷めやらぬ岡山をあとに、学生であるぼくらは、それぞれのもといた場所に帰った。
家でつけたテレビのワイドショーは選挙のこと、これからの国会のことで持ちきりだった。自分の中では岡山から東京に帰ってきたことでひと段落と思っていたが、まだまだ世間は“小泉チルドレン”や“小泉劇場”にわいていた。選挙中はなかなかワイドショーを見る時間もなかったが、この様子だと選挙中もこの騒ぎだったのだろう。この選挙がこの夏最大のイベントだったという実感がいまさらながらわいてきた。
それにしても、昨日まですぐ横にいたひと、目の前で起こっていたことが、テレビや、新聞の中のできことになっているのは少し不思議な感じがした。報道の大半は自民党の大勝に関するものであったが、民主党の方は体制の立て直し、前原誠司氏の新代表選出が報じられていた。前原氏と言えば、津村事務所の事務所開きの挨拶に駆けつけてくださっていただけに、まさしく「昨日まで横にいた人がテレビの中の人になった」のである。
数日たつにつれて、津村事務所のホームページの活動日誌も少しずつ選挙戦の様子や選挙戦後の岡山の様子を伝えはじめていた。そこには衆議院議員津村啓介としての日常がつづられている。外から見る岡山。ぼくらのいない岡山。少しさびしい気もしたが、あたりまえのことだ。
地元で出会った多くの人にもそれぞれの日常がある。ぼくらにもある。前原さんにだってある。選挙はさまざまな人の日常を津村さんというひとつの個性が強く引き寄せて、離れそうになってもまた引き寄せて、ひとつにしたものだ。ぼくらの日常はたまたま交わったが、ひとつではない。そんなあたりまえのことを思った。
この夏、津村さんに出会ったこと、さらには津村さんを中心に集まったひとたちと出会ったことは、いま自分が感じているほどの価値のあるものではないかもしれない。選挙がおわって、東京に帰ればみんなそれぞれの日常が待っている。岡山での経験は、おそらくぼくの日常を変えはしない。その意味でワイドショーと本質的な意味でのちがいはないのかもしれない。ただ、この夏の岡山で過ごしたエネルギーの塊のような数週間が、ぼくやみんなの心のどこかに、いつになってもどこにいっても消えることなくありつづけるという予感だけで今のぼくの心はいっぱいになる。
【後日談】あのアツいアツい岡山の夏からちょうど2年が経ちました。折角の夏休み、「何か1つのことをやり遂げたい」「なんかかましたい」 「何か楽しそう」。みんなの参加の動機はこんな素朴な思いでしたが、インターン面談の後に解散総選挙が決まり、例年通りのポスター張りがメインのインターンのはずが一転、私たちは全身選挙の波にさらされる怒涛の1ヶ月をスタートさせることとなりました。
今は既に社会人として多忙を極める菊池・坂本・峰越の三人。来春からの就職が決まり、学生生活最後の時を卒論制作と旅行資金稼ぎに費やす片野。迫りくる就職活動に、不安ながら立ち向かおうとしている丸田・福島・Yちゃん。民間企業、公務員など進路は皆違っていますが、あの夏の経験は、各々が実りある未来を見据えるにあたり、確実に大きな示唆を与えてくれています。選挙という大舞台に余すところなく私たちを受け入れ、仲間としてくださった津村さんと津村事務所の皆さんへの感謝の思いは、当時よりも今、より一層強く感じるように思います。
インターン生にとっての津村さんに選挙前から現在まで一貫しているのは、「意志の人」という印象。とくに、選挙中に強く感じたのが、行動で示していればあえて口にしなくとも相手に伝わるという徹底した他人に対する信頼と、かりに伝わらなくてもそのことで後悔しないという覚悟の一途さと深さでした。奇策を好まず、正々堂々、威風堂々、愚直さに議員という職の意味を見出しているのだと思います。いつも優しいけれど、怒るときは本気で怒る。物凄い体力と気力で選挙を乗り越え、今も定期的にインターン生の集いを開催してくださり、お会いする度に政治家として大きくなっていかれるのを感じます。
我々7名のメンバーもこの集いで顔を合わせていますが、寝食を共にした仲間達との再会はいつも、心和む本当に楽しい時間となります。各々のキャラクター発掘には今も磨きがかかり、会う度魅力を増すメンバー一人ひとりが、かけがえのない存在となっています。
以上
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