2007年12月5日〜9日  インターン日記 インターン目次 / 津村啓介ホーム

津村啓介事務所 インターン日記 【訪中団編】

>>小沢訪中団フォト日記


■ 前書き

 
去る12月6日〜9日、日中国交正常化35周年を記念し、総勢450人余りの民主党「大長城計画訪中団」が中国を訪問した。
 これは、津村啓介衆議院議員事務所の学生インターンであったという縁と、何より津村議員のご配慮とご厚意によって、幸運にもその歴史的行事へ参加することができた我々学生4人の体験を綴った日記である。
 言い換えるならば、
 “小沢代表と一緒に、胡錦濤国家主席に会いに行く”
 そのスケールの大きさに戦いた我々の、赤裸々な見聞録である。


■ メンバー紹介

・中野友道(慶應義塾大学4年) インターン6期
4人の中で唯一の理系。
実は、海外に行くのは今回が初めてだったとか。初めてが大訪中団なんて、お寿司屋でいきなりウニ食べちゃうようなものなんじゃ…?!そんな杞憂も何のその、一番エンジョイしてました。犬飼氏とのコンビ具合が絶妙。

・犬飼聖士(駒沢大学1年) インターン6期
悲しいことによく30代や40代に間違えられてしまう。大学では教授に間違えられ、警備員に敬礼されたという逸話の持ち主。その秘書然とした落ち着いた物腰とトレードマークの眼鏡に秘密があるようだ。中野くんのS振りを飄々とかわす、実年齢20歳。
 
・井上弓子(筑波大学3年) インターン5期
今回4年越しの想いを実らせ念願の中国行きを実現。というのも高校の修学旅行予定地は中国だったらしい。現在就職活動中。凛とした佇まいと目鼻立ちの整った顔で正統派美人は間違いないが、その第一印象を軽快に裏切るコミカルな一面も。

・太田晶湖(早稲田大学4年)
卒業論文執筆にあたり議員アンケートを取りに伺ったのをきっかけに津村事務所のお世話に。思考回路は「Do か Do not なら Do」 アンケート、取ってやろうじゃない!→参院選、やってみようじゃない!→中国、行ってみようじゃない! ワンレン茶髪のパッと見ギャル。


■ インターン日記〜訪中団編〜

12月5日 〜出発前夜〜  

(中野)
 
訪中団の集合時間は明日(6日)の午前7時30分成田空港。
 私は自宅からでは間に合わないため、津村さんのご好意で議員宿舎に泊めていただくことに。
 (議員宿舎に泊まる機会など普通に人生を送っていればまずないだろう…)
 期待と好奇心に胸が膨らみつつ、私は東京駅に津村さんを迎えに行った。津村さんはその日の最終新幹線で岡山から東京に向かっていた。予定到着時刻は23時45分。そして次の日は朝から中国である。
 インターン中から思っていたことだが、相変わらず信じられない体力だ。どんなに過密スケジュールでも朝から晩まで(未明まで)元気の衰えない津村さんは、間違いなく学生より若い。
 しかし、鉄人津村さんも流石に疲れていたようで、なんと新幹線の切符をなくしてしまうというハプニング発生!!!
 議員宿舎に着いたのは24時半過ぎである。それから、訪中用の資料を30分ほど2人で確認し、就寝。起床予定時刻は5時半。まずは朝起きることが訪中成功の第一の関門という波乱の幕開けに………


12月6日 〜1日目〜

成田空港で行って来ますショット(左から 太田、中野、井上、犬飼)

北京に到着!

(中野)
 (当然のことだが)第一関門は無事突破。
 成田空港で津村チームの顔合わせ。津村さんのご両親や妹さんも一員だ。
 3時間半のフライトで北京へ到着。

さっそく中国の公衆電話を堪能する犬飼氏

 空港から外へ出た瞬間に立ち込める排ガスくさい空気には驚かされた。霧と煙を足して2で割ったようなイメージである。空気がにごっているので、太陽を肉眼で直視できてしまうのだ。まるでサングラスをかけて見たかのように輪郭がクッキリとしている。北京の大気汚染は有名だが、これほどまでとは思わなかった。タクシーをトヨタのプリウスに全て変えれば大気汚染は解決するというガイドさんの話が印象的だった。

カルチャーショック

(井上)
 
空港から市街地に向かう際、車窓からは高層マンション群が見えた。そのスケールと数にまず度肝を抜かれた。西欧風のマンションが次から次へとお目見えする。ベランダは無く(空気が乾燥しているので、外に干す必要はないらしい)、優に50階は超すと考えられる。マンションは建設ラッシュ。ここでも中国の人口の多さの現実に気付かされた。都市部は現在、地価が上昇しているという。特に北京中心部は繁華街であり社会主政権でありながら資本主義経済が浸透していると感じた。それは私がイメージしていた中国とは少し違っていた為驚いた。

(犬飼)
 
2008年に開催される北京オリンピックに向けて北京の街並みも整備されているとは聞いていたけれど、自分の想像をはるかに超えるほどのものだった。発展が著しい一方で、近代的建物の近くには昔ながらの家々が点在している。屋根が陥没しているのか定かではないが、その部分に漬物石のようなもので屋根が補修されている。ひとつ道を挟んで近代的建物と前近代的家屋が分離している。そのコントラストに中国の経済的格差の大きさを感じた。

「しぇんえん!しぇんえん!」

(犬飼)
 天壇公園の入口に到着するとすぐに一人の男性がこちらに近づいてきてマフラーらしきものを差し出してきた。私たちが日本人だとわかると、「1000円、1000円」と言ってくる。ガイドさんの説明では、1000円札が最少額紙幣だからだそうだ。それにしても天壇公園は広い。明・清時代の皇帝が毎年天地の神を祀り、豊作を祈った場所である。何といっても天壇の設計は巧妙で、色彩の調和、建築芸術はずば抜けている。

地震のない国

(太田)
 「中国は地震がないから、遺跡がそのままの形でたくさん残っているのです」
 ガイドさんの言葉を聞いて、なるほど。天壇公園のある場所は日本の霞ヶ関のような官公庁街ではあるが、あちらこちらに城壁や城門が残っている。
 (1400年前の人々と、同じ舗装の上を歩いているのだろうか)
 それは少しばかりエキサイティングなひとときだった。
 
 日本と違うのは、敷地の広大さ。やはり地理的要因は建築にも如実に影響するのだなと思った。皇帝しか歩かれることが許されなかったという白線が公園の端から端まで続いているのを見て、儀式ひとつでも何日がかりという世界だったのだと考えれば、何をするにもせかせかする現代とは時の流れ方もまた異なっていたのだろうな、などと勝手に思いを巡らせていた。

天壇公園にて 津村議員、民主党岡山県連の松本さんと

中国初ディナー

(中野)
 
世界遺産である天壇公園を訪れた後に、宿泊先に到着。北京市内のど真ん中に位置する北京飯店というホテルだ。何と五星である。天安門広場に隣接していて、周囲の建物はどれも非常に大きい。ホテルを一周するだけでも相当時間がかかりそうである。

 しばしの休息の後、初日の会食先である人民大会堂へ。会場入りする前に、所持品を全て出して、金属探知機をくぐる必要があった。当然とはいえ厳重な警備である。このようなオフィシャルな場に果たして自分がいていいものかと萎縮しつつも、眼をフル稼働し、周囲の景色を全て眼に焼き付けておいた。
 私は今夏に初当選を果たした衆議院議員、階猛(しなたけし)さんのテーブルに同席させていただいた。階さんはみずほ證券の顧問弁護士でありながら、より大きなやりがいと充実を求めて国政に飛び込んだアグレッシブな方だ。気さくに話をしていただき恐縮だった。

中野くんと犬飼氏はなぜか男2人でダブルベッド… 人民大会堂にて

12月7日 〜2日目〜

中関村の建物

中国の最先端

(中野)
 
午前中は、中関村技術開発区というバイオチップで有名な研究所及び、IT系の企業体の見学に行った。誘致された企業にはIBM、オラクルなどそうそうたる顔ぶれだ。
 ここでの見学は、専門分野は違うものの、理系として非常に興味深いものがあった。
 一番印象深かったのは研究内容ではなく(そもそも専門ではないので理解できない)国からのバックアップの充実度と、研究者のモチベーションの日本との相違だ。
 開発区は数多くの棟が存在し、その範囲は何と周囲2.5キロ平方メートルである。東京ドーム53個分だ。また、研究室内はどこも国家機密であるため、立ち入り禁止である。日本国内ならば、どの大学であってもアポイントさえとれば、誰でも自由に研究室見学が可能なのが一般的である。
 つまり、見学できないということは、科学技術の発展を国策として実施していることに他ならない。研究者の方に話を聞いてみても、自分の研究が国の発展につながることに最もやりがいを感じるとのことだ。もちろん社会主義国家では、研究者はそのような発言をしなければならないのだろうが、それを差し引いても純粋に科学に対する探究心で研究を行っているようには見えなかった。
 一方日本では、私を含めて、国や自分自身の利益のためというモチベーションで研究を行っている人は少数派だ。大多数が、「面白そうだから」という好奇心から研究を行っている。私の感覚としては、利益のためという動機では模倣は行えてもそこからオリジナリティが発揮できるとは思えない。長い目で見ると、技術力では追いつかれるかもしれないが、中国から新たなイノベーションが起こることはないのではないかと思った。勿論、技術力が追いつかれるということに対する危機感や対策は必要であるし、日本と違って国が理系教育の重要性を理解し、重点投資を行っていることは一理系人として大変羨ましく思った。

コバンザメ冥利が尽きる

人民大会堂正面

(犬飼) 
 
人民大会堂にて胡錦濤国家主席との記念撮影。最上段の真ん中で記念撮影をすることができた。
 記念撮影後、釣魚台国賓館へ移動。答礼宴まで時間があったので、釣魚台国賓館内を散策。絢爛豪華な建物が立ち並ぶ。日・米・露・中・韓・北朝鮮による六カ国協議も釣魚台で協議される。釣魚台国賓館は国賓クラスのVIPが宿泊する迎賓館である。国賓館だけあってでてくる一品一品の料理がすばらしい。周りを見渡すとテレビでみる人が大勢いた。幸運にも小沢代表とツーショットで写真が撮れ、非日常的異空間の中で夢のような時を過ごすことができた。

(太田)
 胡錦濤国家主席は、民主党議員の先生方だけでなく、支援者にも握手をして回ってくださった。なんと私の近くにも、国家主席の手が差し出される時があった!残念ながら握手は出来なかったのだが…。人と人とが「会う」意味、その重さを実感した。その反面、現実離れした気分だったのも事実。恐縮と高揚の時だった。
 中国は人口が多いので、集合写真を撮るカメラが一風変わっている。ぐるりと弧を描くようにカメラを動かしながら、端から端までを時間差で撮っていき、後で合成する仕組みらしい。そして照らされるライトのまぶしいことまぶしいこと。その意味でも、“中国でしか成しえない”経験をしたと言える気が。。。

寒さに凍えながら釣魚台のまわりの池を一周!

(中野)
 
記念撮影は日本でも話題になっていたが、一学生が中国のトップを直に見て、写真まで撮れる機会はこの先数十年はないだろう。何事も一番を見るということには非常に価値がある。山の頂上を視認できれば、目標までの到達距離が分かるからだ。
 答礼宴が開かれた釣魚台国賓館といい、初日の人民大会堂といい、本当に自分がここにいていいのか?という疑問がこの日もついてまわった。今日はテーブルに公人の方がいなかったので、料理を食べることに専念してしまった。しかし、ここでの食事は全日程の中でも最も美味だったことは言うまでもない。流石は国賓館。

「若い力」

(中野)
 
夜は津村さんの計らいで、細野豪志衆議院議員、高山智司衆議院議員、菊田真紀子衆議院議員とお話をする機会をいただいた。各氏とも連日の仕事で疲れきっているはずなのだが、それを感じさせないくらいエネルギッシュだった。ご多忙の中、貴重な時間を割いていただいたことには感謝してもしきれない。

(太田)
 
膝をつき合わせるほどの距離で議員の先生方とお話する機会に恵まれるなど思いもよらなかったので、喜びもひとしお、非常に緊張してしまった。答礼宴では高山議員の司会の上手さに脱帽だったが、話の仕切りも然りだった。また私の中の国会議員のイメージが一新されることとなった。百聞は一見に如かず。若い力、は津村事務所のキャッチコピーであるが、お三方とお会いして学生でありながらそのエネルギーには学ぶものが大きいと思った。


津村議員のご家族、松本さんと

12月8日 〜3日目〜

王道!

(中野)
 
午前中は万里の長城へ。何事も圧倒的なスケールで展開される中国を象徴するかのような世界遺産だ。標高1000メートルの山々に建てられているためか非常に寒い。しかしながら、都心を離れていたため、空気がきれいだった。いい機会なので肺の洗浄をたっぷりとしておいた。昇りきった先で見る景色は正に絶景だ。意外と急勾配だったので津村さんのご両親の体力が心配だったが、杞憂だった。鉄人のご両親もまた鉄人であった。

お〜いお茶で休憩♪

(井上)
 スケールの大きさと同時に、中国の歴史を感じざるを得なかった。中国はこれまでの歴史を大切にしていきているのだな、と感じた。
 
(犬飼)
 バスを降りると北京の寒さとは比較できないほどの寒さが全身を襲った。日陰の水たまりがカチカチに凍っていた。テレビで見ると比較的平然と登っているようにみえたが、標高の高さと刺すような寒さでとてもきつかった。

普通じゃ見られない王道!

(犬飼)
 中国人民解放軍の施設見学。まさか日本人の自分が中国の軍事施設を見学できるとは思わなかった。
ここで少し違和感を覚えたのは、山に向かって砲撃して山から煙が立ち上った時に我々日本人が拍手していたことだ。大げさかもしれないが、中国側からすれば日本に対して“力”を見せるいい機会だったと思う。別に中国を批判するつもりは全くない。しかしあの時、我々は拍手してよかったのだろうか。帰国した現在でも考えてしまう。

人民解放軍が整列してお出迎え

(中野)
 
中国共産党が民主党との関係を強化することに本気に取り組んでいるという姿勢を示すいいパフォーマンスなのだろうなと一人で考えながら、この貴重な機会を過ごさせていただいた。

(太田)
 初めて軍事演習を見た。厳格な指導の元に鍛錬されたのであろう俊敏さ、正確さ、強靱さは確かに、語弊があるかもしれないが爽快なものではある。スポーツ選手の活躍に、歓喜するのと少し似ている。けれど、軍隊の存在意義とは何ぞや? インドに旅行に行った際、相部屋になったイスラエル人とスペイン人が軍隊の在り方について口論していたことを思い出した。間に立って何も口を挟めなかった自分。もっともっと勉強が必要だ。

さそり!

“さそり”を食す津村議員と犬飼氏

(太田)
 北京ダック発祥の店、「全秀徳」にて待ちに待った北京ダック!
 と、その前に、なにやら怪しげな食べ物が運ばれてくるではないか。
 それは“さそり”!!!
 チキンな我々は津村議員に先陣を切ってもらうことに。
 けれどこのさそりの唐揚げ、カリカリしてて案外イケるということが判明。Do かDo not なら、やっぱりDoですね!
 
 もちろん、メインディッシュの北京ダックは言葉も発せないぐらいに美味でした。

持つべきものは…

(中野)
 
夜は津村さんの日銀時代の友人である東善明日本銀行北京代表とお酒を飲む機会をいただいた。来年、修士1年になれば、再び就職活動をするので、OB訪問だと思って積極的に仕事内容や目標などを質問させていただいた。
 他にも、中国の最近の出来事や経済の動向など非常に多岐に渡り、ご教授いただけたことは大変勉強になった。
 この日の午前中の外交安全保障委員会が仕事の山場であったため、それを無事乗り切った津村さんは、旧友との再会も手伝ってか、いつになくリラックスしていた。


12月9日 〜4日目(最終日)〜

数年後の北京に思いを馳せながら

(中野)
 
午前中は北京都市企画展覧館へ。会館自体は特別何かしら見所のある場所ではなかったが、超大国を目指し発展を続ける中国の活気や息吹を大いに感じることができた。
 「高度経済成長期の日本と雰囲気がよく似ている」という、津村さんのお母様の言葉が印象深い。既に豊かさを達成している時代に生まれ、育った自分にとって、実際に成長の真っ只中にある国の空気を体感することは非常に貴重な経験となった。

オリンピックまであと243日!

(犬飼)
 
展覧館で、集合時間になったので一階に降りてデジカメで撮ったり、話をしていると、いきなり写真を撮られた。いっぱい撮られた写真は新聞で使用されるらしい。

 そのあと、予定には入っていなかったが、お茶屋さんに行くことができた。毛頭お茶など買うつもりはなかったが、「そのお茶は中国でしか販売してない」と言われ、ついつい買ってしまった。

 ビル群を抜け空港へと向かう。この街並みがどのように変化していくのか、数年後再び見にくるのが楽しみだ。数年後の北京は相当様変わりをしているのだろう・・・

4日間を振り返って

(中野)
 
今回の訪中は、現代中国の野心に満ち溢れた空気や、日本を支える偉大な人生の先輩たちとの出会いなど、本当にプライスレスな体験が目白押しだった。それらの全てが、豊かさを達成し、次の目標を日本が喪失していると言われる中で、自分が社会に対してどのような貢献ができるのか、自分自身がどのように成長していくのかを考える良いきっかけとなった。
 末筆ながらこのような大変貴重な機会を与えてくださった津村さんに改めて感謝します。

(犬飼)
 この訪中を通じて様々な刺激を受けた。
 現在の自分から10年後、20年後の自分を想像してみる。想像すれば想像するほど不安になった。明確な目標も夢もなく毎日を過ごしている自分に発展性は見込めない。何か目標を立て、実現しようとする向上心が自分を成長させていくような気がした。
 現在中国はエネルギーで満ち溢れている。よりよい状態を求めて頑張る人々。一人一人の向上心と努力が国家の発展を生み出すのだと思う。物質的に満たされた状態の日本。それとは反比例して精神的に貧しくなってきている。現在の日本には、まさにこの向上心と絶え間ない努力が必要だと思う。中国と日本の間には諸問題が存在しているが、これからは良いパートナーとして相互に刺激し合える間柄になれば、日本にも新たな発展が見込まれると思う。欧米重視路線から“アジアの中の日本”として展開していく時代なのではないだろうか。

(井上)
 
今回の訪中は、どのような意味があるのだろう、と私はこの訪中中、そして帰ってきて考えていた。
 高山議員は私達に「一度会うこと」が大切だと教えてくださった。こうした機会を設けることで、日中双方の関係がより深いものとなっていくかもしれない。会うと会わないとでは違う。それは私たちの実生活にも言えることで、人と人とが直接会ってコミュニケーションを図ることで偏見や思い込みがなくなっていくと感じる。日中国交正常化から35年が経ち、経済や文化、政治あらゆる面において関係は深くなっていっていると思う。更に深いものになるにはこういった交流が必要だと感じる。

 そして、移動の際、太田先輩と私が考えていたことがある。
 「平和」についてだ。私は日本にいるときはあまり意識しないのだが、海外に行くとリアリティをもつ問題となる。
 戦争や紛争の報道を見ていていつも感じていた。何故歩みよった「対話」が出来ないのだろう、と。それは、世界の人間はバックボーンも違えば、宗教、社会的背景、言語も違う。しかし、戦争ではなく「対話」が必要なのではないかと私は思う。グローバル化が進んでいるとは言え、世界に一つの価値基準を構築することは不可能だ。違いを認めることが「対話」の一歩になりえる。今回の訪中は、外交についても深く考えることができた。
 これから注意深く見ていきたいと思う。

(太田)
 これからは中国の時代だ、ということを数年前から耳にしてきてはいたが、それをはっきりと体感した4日間だった。オリンピック間近の北京だった、ということもあるとは思うが、街全体に発展のエネルギーが迸っていた。
 私は経済のことは門外漢だが、日本銀行の方に「日本の高度経済成長期と同じ状況にある」ということを聞き、バブルの二の舞にならないような努力が、計画経済でうまく効を奏すのだろうか、と勝手に危惧してしまった。
 資本主義的発展、それと表裏一体をなす格差の拡大。あちらを塞げばこちらが火を吹く、というもぐらたたきのような状況への打開策は…
 とマクロ的なことを考えるのもいいが、結局今の自分は目の前のことを精一杯やっていくだけだ、と思ったのもまた 事実。きれい事は言いたくないけれど、一つの握手から、一つの笑顔から、始まることは確かにあると、人と人とのつながりは本当に小さなところから築いていくものなのだと、再確認した。
 集団が大きくなればなるほど、人間の結びつきは一筋縄ではいかなくなる。日中関係が、ひとりの人と人との関係のように小さなところからでも歩み寄って協調していけるものになれば、と願う。そして自分もその一端を担いたい。

 最後になりますが、この訪中を2倍にも3倍にも有意義なものにしてくださった津村議員、学生相手にも興味深いお話を沢山聞かせてくださった菊田議員、高山議員、細野議員、東さん、明るく気さくにお話してくださった松本さん、津村議員のご家族のみなさまに、心より御礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。


2007年12月5日〜9日  インターン日記 インターン目次 / 津村啓介ホーム