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■ 秘書スタッフ日記 ■ 2006年04月01日(土)-30日(日)
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■ 秘書スタッフ日記 早い版 ■ |
本日、津村啓介事務所を退職することとなりました。2003年、津村の初めての選挙をお手伝いさせていただいてから二年半あまり、皆様には大変お世話になり、本当にありがとうございました。
一年生代議士と一年生秘書たちで出発した津村事務所。毎日が試行錯誤の連続でした。何かと不行き届きで、ご迷惑をおかけすることも多かったことと思います。経験がないためにしでかした失敗、経験がないからこそ生み出した成功。。ひとことでは語り尽くせないほど様々な経験をさせていただき、学びの多い日々を過ごすことができました。
その中で一番大切に感じたことは「ありがとう」という感謝の気持ちをきちんと伝えること。支持していただくということは、気持ちをいただくということです。いただいた気持ちに対して、「ありがとう」と誠意を持ってお礼を言うこと。これは政治活動でなくても「生きていくうえで当たり前のこと」ですが、私自身、あまりにも当たり前すぎて忘れかけていたことでもありました。余裕がなく、心では「ありがとう」と思っていても、それを伝えなかったために行き違いが起きたこともありました。
「当たり前のことだけど、一番大切なこと」を皆様から学ばせていただいたと思っております。
これまで出会ったすべての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。この場を借りて、皆様にお礼申し上げます。
そして、津村さん。ありがとうございました。津村事務所に入れてもらえたからこそ、こんなに素晴らしい方々に出会うことができました。2年7ヶ月は言葉にすると短いかもしれませんが、「濃い」日々だったと思っています。決して楽しいことばかりではなかったですが、それも私にとっては学ぶべきことでした。未経験な私にチャレンジの場を与えてくださって本当にありがとうございました。
皆様からいただいた多くのものを大切に、新たな第一歩を踏み出してまいります。
ありがとうございました。
昨日は、千葉七区補選で、太田和美候補が当選、といううれしい知らせを聞きました。当初、メール問題で民主党ががたついている中手を挙げた候補、ということで、ジャンヌ・ダルクと称されていましたが、まさに、革命を起こした選挙だったといえます。
私も、秘書会要請のもと、主要駅でのビラ配り、夜立ち、ポスティング、電話かけ、と可能な範囲で参加し、千葉入りしましたので、喜びもひとしおです。
今回の選挙で、太田候補は「負け組ゼロへ」というスローガンのもと、戦っていました。その結果、格差社会を助長する小泉内閣に対する不安と、ニュー小沢体制に期待する皆さんのお気持ちをいただけたと思います。お題目の「改革」に、国民はだまされなくなっているのではないでしょうか。同じ女性、そして、若い世代の代表、ということで、今後とも、太田さんには、大いにがんばっていただきたいと期待しています。
振り返って、国政の場を見てみると、次々とおかしな法案が数の論理によって決められようとしています。たとえば、津村が所属している法務委員会を例にとっても、先週強行に与党が審議を始めようとした「共謀罪」とか、先日与党案が可決した「代用監獄」とか、民主党が修正案を出していても、多数決で否決されています。
やはり、民主主義は、多数決の論理でもあるわけで、ここは、がんばって議員の数を増やすしかないのだ、と改めて思い知らされています。
と同時に、今の政府が行おうとしていることが、本当に国民のためになることなのか、きちんと追及し、監視し、国民のみなさんに分かりやすくお伝えしていくのも野党の役割だと思います。
小沢代表のもとでの新体制になってから、文字通り、全員野球で民主党は取り組んでいます。津村も、国会対策委員会に留任し、役員室も菅代表代行の担当ということで、留任いたしました。これまで以上に、最前線で戦ってまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
最近、気になることがあります。
うちの代議士って、アタマが大きくありませんか?
最初にそんな気がしたのは、4区の柚木さんとの記者会見場。会見の様子を写真に撮ろうとカメラの液晶画面を見ていたら、ほっそりとした柚木さんに比べて、何だか顔が大きいような・・。カメラを下ろして肉眼で見ても、やっぱり津村の方が大きく見える。
遠近法?顔の形の問題?
昨日、疑問を思い切って本人にぶつけてみました。
「あー、子どもの頃からよく言われたよ〜。皆が頭の大きさは56だとか58だとか言ってる時に、俺だけ62だったもん。」
「そーですかー。きっと脳みそがいっぱい詰まってるんですね!」
でも、脳みそって大きさじゃなくてしわの数でしたっけ・・。
岡山2区の皆様、はじめまして。私は、この3月末で3年間お世話になった日本銀行を退職して、4月から公設第一秘書として津村事務所で汗を流すことになりました、松島と申します。出身は石川県で、大学からは東京に出ておりましたので、岡山は生まれて初めての土地になります。
さて、今回は私の秘書日記デビューですので、そもそも津村さんと出会ったキッカケから、私が今この場にいるに至る経緯をご紹介したいと思います。
前ぶれは、「政治家の秘書に興味はあるか(秘書になってみたいと思うか)?」という、日銀の先輩からのメールでした。「興味ありますよ」と軽く返信したところ、津村さんを紹介され、ほどなく津村さん本人から「突然ですが今日はどうですか?」とメールをいただき、赤坂の居酒屋で酒を酌み交わしました。2004年の11月末、私の25歳の誕生日でした。
それから何度か東京でお会いする機会があったのですが、昨秋の衆議院選挙のあと、これまでとは少し異なる雰囲気で、「話がある」とお誘いをいただきました。八重洲の焼肉屋で津村さんは、熱っぽく語ってくれました。小選挙区で勝利し、これから何を目指すのか、そのためには何をすべきで、どういう人物が必要なのか・・・一通りの熱弁を終えて焼肉に舌鼓を打ちかけた時、「日本の政治のために共に汗を流そう」と、真剣な眼差しで私に語りかけてくれたのです。あのときの津村さんの眼差しや迫力、そこからうかがえる並々ならぬ熱意や決意は、以後、僕の心に焼き付いて離れませんでした。そして、その熱意や決意を向けられたこの26歳の若者は、それに応える以外の選択肢は持ちあわせていませんでした。
私は元々、世の中のため、天下国家のために仕事がしたいとの想いがありました。奇しくも岡山へ引越す荷物の整理をしていた際に、学生時代にとあるパンフレットに寄せて書いた文章を見つけたのでふと読み返してみたところ、「将来は政策にかかわる仕事がしたい」と書いていました。今まさにその想いが、圧倒的なリアリティをもって私の目の前に横たわっているのです!
話しを戻しますが、最初に津村さんにお会いした時、「とにかく岡山に行ってみよう」と思い立ち、早速その週末に岡山に駆けつけました。土曜と日曜の2日間、朝から晩まで地域の支持者の方を回らせていただいたり、ビラを配ったりと、とにかくいろんなことを体験しました。そして、東京に帰る間際、事務所の皆さんの前で大泣きしてしまいました。なぜあれほど大泣きしてしまったのだろう・・・ 今になって振り返ると、それは例えば、新聞やテレビのワイドショーで見るのとは全く異なる、地元活動という“生々しい”政治の原点を目の当たりにして衝撃を受けたのか、あるいは津村さんを献身的に支える秘書の皆さんの熱意に触れて感動したのか・・・ ほかにも、言葉では説明できない複雑な思いが去来したのだと思います。しかし、いまだにあのときの気持ちを説明できるだけの言葉を、見つけることができないままでいます。
松島秘書
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あの時の涙の意味を、自分自身でも確かめたいし、確かめなくてはならない。そして、それを確かめることができたとき、本当の「政治」というものがどういうものなのかが、初めて自分の中で理解できるのだと思います。そのためにも、これから出会うひと、見るもの、聞くこと、体験することすべてをしっかりと吸収し、蓄積させていきたいと思います。
なにぶん初めての土地ですし、まだ26歳の青二才です。至らないことも多々あると思いますが、一生懸命頑張りますので、ご指導のほどよろしくお願いします。
久しぶりに国会事務所に行ってきました。
3月31日の始発新幹線で上京、徹夜で作業を終えて、4月2日朝2便目で帰岡。その間、ほとんど仕事しかしなかった東京出張でした。
今回の目的は、いわゆる「箇所付け」。
3月27日に今年度予算が成立しました。それを受けて、国土交通省や農林水産省といった省庁が、各事業の予算を具体的に各地域に割り当てます。
それを通称「箇所付け」と呼んでいて、31日11時に発表されました。
それを役所にもらいに行き、地元の関係各所に連絡し、あるいは岡山2区内の関係箇所をまとめた資料を作る、というのが私の仕事でした。
津村事務所では、できるだけ多くの皆さんに自分たちの税金の使い道を知っていただけるよう、「箇所付け」資料を広くお届けしています。
ご興味のある方は、差し上げますので、ぜひご連絡下さい。
4月になった。去年のこの時期はさくらが満開だったが、今年は気温が低いせいか、まだつぼみの状態で、開花しているさくらは見ていない。
3月に行った、岡山でのインターン受け入れも無事終わった。
わが事務所は、秘書の助手というポジションでインターンに働いてもらうのではなく、1つの仕事をまるごと担当してもらう。それが「ポスター貼り」
貼ってもらうために行う営業、ポスターの貼り方など、以前にも書いたが、一人一人が自分で考えて動いてもらうように心がけている。
多分最初は、訪問することにも戸惑いを覚えた人が多かっただろう。訪問して交渉することが恥ずかしい人、なかなかポスターを貼ることが出来ない人、最初から順調に貼れた人、全員性格も違い、訪問スタイルも違う。経験をつむごとに成長していく姿を見ていると、うれしくなった。
「今日は○○枚貼れましたよ」
「持って行ったポスターが全部なくなりました」
「こういう支持者がいました」
こういった声が回数を重ねるごとに増えていった。
インターン生も自分たちが何らかの形で成長したと実感してもらえたと思っている。
せっかくの春休みをインターンに費やしてくれているのだから、事務所としても、全力で何か学んでほしいし、成長して帰ってほしいと思っていた。
06春インターン生、長い間お疲れ様でした。
これから津村事務所でインターンされる方のために、必ず有意義なインターン期間になるよう全力で頑張っていきます。今度は夏インターンになると思いますが、ぜひお越し下さい。
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