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■ 秘書スタッフ日記 ■ 2005年11月01日(火)-30日(水)
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■ 秘書スタッフ日記 早い版 ■ |
田中 「ちびっこサッカー大会」 2005年11月27日(日)
先日 ちびっこサッカー大会に議員の代理で出席させていただきました。
もう、ほんとうにちびっこで、参加選手は幼稚園や保育園の児童がほとんどです。
ちびっこ選手のみんながボールを追って、ちょこまか ちょこまか 動き回る様はとてもかわいらしく、見ているだけでとても楽しく感じます。最近はサッカー教室も開かれていたりして、小学生に上がる前から通っている子供もいるそうです。そんな上手な選手もいるのですが、その一方サッカーのルールも知らないような選手たちもさくさんいます。面白いのは、目の前に転がってきたボールを手でキャッチする選手の多いこと、もちろんゴールキーパーじゃありません。選手がボールを触るたびにあちこちで歓声があがります。
ある意味、大人の試合より目がはなせません。
そんな ハラハラドキドキする試合を観戦しながら、非常に楽しい時間をすごすことができました。
河田 「安心して老いるために」 2005年11月22日(火)
岡山に戻ってきて、2週間が過ぎました。
挨拶まわりや、イベントまわり、朝街宣など、地域担当秘書としての仕事にだんだん慣れつつあります。
とはいっても、車の免許をとってから約8年。
その間ほとんど運転したことのないペーパードライバーでしたので、車の運転だけでもまだまだ緊張します。
事務所と実家との往復には多少慣れてきたものの、まだまだ知らない道や地名がたくさんで、日々勉強というところです。
ところで、昨日は、介護保険についての勉強会に参加させていただきました。
講師は、ケア・マネージャーとして介護の現場の最前線で働いていらっしゃる方でした。
介護保険法が改正されますが、その意図は、高齢者が自立して生活できるように支援していく、というものです。
理念はすばらしいのですが、必ずしも法律が現場の声と合致していないこともあるようです。
介護というと、まだ先のこと、と思ってしまいましたが、今は健在である祖父母や両親のこれからのことを思うと、他人事ではありません。
また、自分自身の人生を考えても、自分らしく老いを迎えるためには、どうしたらいいのか、ということは、今から備えておくべきことなのだと思いました。
これから日本は少子高齢化社会を迎えていきますが、生き生きと高齢者が自立して生活していけるように、また、地域でともに生きる私たちも尊敬をもって高齢者を受け入れることができるように、法律も現場に沿ったものにしていかなくてはいけないのだ、と思いました。
今後も、こうした最前線で働いていらっしゃる方の声を広く受け止め、政策に反映させていければと思います。
榊原 「エコノミスト取材」 2005年11月22日(火)
先週金曜日午後、党本部の国際局から突然電話があり、雑誌・英国エコノミストの取材を、民主党代表として受けて頂けないか、とのこと。
何でも、最初は前原代表に来たもので、内容も「9/11以降の民主党の方向性は?」「いかに民主党独自の改革政策を推進していくのか?」「自民党の政策との差別化をどうはかっていくのか?」「日本が直面している外交問題で重要なのは何か?」「日米安全保障問題をどうすべきか?」「台頭する中国への日本の対応は?」「今後の日本の国際的役割は何か?」「いかにして、政権交代しようとしているのか?」といったもの。因みに自民党は、あの片山さつき政務官&佐藤ゆかり幹事長補佐が応じられるとのこと。
訪中のため代議士不在で確認が取れないものの、オクスフォードに留学していた代議士は、この取材を受けたいのではないかと直感的に思った。案の定、タイトなスケジュールをやりくりして、急遽取材をお受けすることとなった。
THE ECONOMIST 取材。
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記事になるかどうかはわからず、とりあえず取材を受けることになったので、上記のような重めの話題だけでなく、広く代議士本人の考えを確認するような形となった。インタビュアーは、クリストファー・ロックウッド氏(アジア編集長)とドミニク・ジーグラー氏(東京支局長)のお二人で、昨日議員会館にて行われ、時間は40分位に及んだ。
なごやかな雰囲気の中、総選挙総括・現在の民主党・靖国問題・米軍基地・日中関係・小泉首相・ポスト小泉と話題は多岐にわたり、途中たまたまお二人共オクスフォードご出身故、オクスフォード話で盛り上がっていた。代議士も、ウィリアム・ヘイグ氏(当時の英国保守党党首。代議士は直接話をしたことがある。)の話や、当時はMBAの建物がなく、あちこちの教室へ移動しなくてはならなかったこと等、とても懐かしそうに話していた。次の予定がなければ、きっとまだまだ取材は続いたであろう。
赤迫 「フリーマーケット」 2005年11月15日(火)
先日、フリーマーケットにお邪魔してきました。津村は別の場所に行っていたため、私が新しくできた「国政報告」を持って各出店者の方などにご挨拶しました。お買物中の方も出店されている方も「津村啓介」という名前を出すとご存知の方が多く、選挙後ということもあるでしょうが、地元での活動の成果が徐々に表れているのかな、と思いました。
フリーマーケットの方は、岡山ドームなどでやるような大規模なものではなかったのですが、なかには子供が出店しているコーナーもあり、どこも盛況でした。
その中でフリマの実行委員の方などから、「次は出店してみては?」というお話をいただきました。フリーマーケットは買い物以上に会話を楽しむもの。地域の方ともお話ができ、ついでに少しだけでも津村をアピールできるいい機会だと思います。
ただ、独り者ばかりの津村事務所。出品するものがあるかは分かりませんが。
一井 「国会答弁は誰がする?その2」 2005年11月15日(火)
11月1日付秘書日記で、国会質問の答弁は、官僚ではなく、政治家(大臣、副大臣、政務官)がするべきなんだけど・・・というお話を書きました。
しかし、実際にはなかなかそうなっていません。
10月26日の衆議院外務委員会で津村が質問した際もそうでした。
津村は、年2回、日韓両国で行われている首脳会談の開催地選考について、町村外務大臣にお尋ねしていました。やり取りを重ね、今年の年末に予定されている首脳会談の開催地の決定時期について質問したところ、突然、政府参考人(外務省官僚)が答弁に立たれたのです!
津村「ちょっとすみません。登録(*)をされていない方が答弁をされるのはルール違反だと思うんですけれども。政治家の方しか登録をさせていただいていないので、改めて大臣にご答弁いただけますか?大臣がご答弁いただくというふうに伺っております。」
町村大臣「本当にそうなんですか?」
原田委員長「登録はとりあえずされていません。町村外務大臣。」
町村大臣「それはどうも失礼しました。・・・(以下答弁)」
同様に官僚が答弁に立っても、抗議せず、そのままになるケースも多いそうで、津村はこだわってがんばっております。
*登録:国会質問の答弁は事前に登録されている人のみが行うことになっています。そのため、11月1日の秘書日記に書いたように、質問取りの際に、誰が答弁者になるか=誰を登録するかが問題になるわけです。
田口 「友好都市調印式」 2005年11月14日(月)
先日、瀬戸内市と密陽市(韓国の都市)の友好交流協定調印式が行われた。
今まで、市長、市議など密陽市に訪問し、交流を深めてきた結果である。
この一大イベントに、津村も来賓として呼ばれた。
会場に向かう車の中で、緊張しながら祝辞を考えていたようで、珍しく音楽の音量も小さくして、一人でつぶやいていた。
祝辞で、ハンセン病ソロクト訴訟のこと、過去に行った、韓国への日本の行動についてなどを振り返り、交流することは本当に勇気のいることだと、日本が行ったことの反省を踏まえ、それを乗り越え前向きに交流していきたいという内容だった。
密陽市の市長さん(李 相兆)が日本語で「ツムラは頭がいい、良く勉強している」とほめていただいた。参加者や市議の方にも感動しましたと、ほめていただいた。
式典後のレセプションで、津村が韓国に行ったことがないという話をすると、春ぐらいにぜひ来てほしいと誘われた。
議員にとって来賓として招待され、自分の挨拶で人を感動させるということは、この上ない喜びなのだと思う。
帰りの車中で緊張しまくったけど、喜んでもらえる挨拶ができてうれしいと喜んでいた。これからも、その場で考えてする挨拶も新鮮味があっていいが、人の心に残る挨拶をし続けてほしい。
となる本日11月9日は、私の誕生日でもあります。初めて岡山の地を踏んだ時は26歳でした。あれから・・・もう2年経つのかと思うと、月並みですが、長いようであっという間だったなぁと思います。そういえば我が代議士は「三十にして立つ」と決意し、国会議員の道へ一歩踏み出しました。そんな歳に自分ももう少しでなろうとしていることにも感慨を覚えます。
思えば、私が津村事務所に関わるひとつのキッカケが、「前回衆院選の投票日が11月9日」ということでした(なんと些細なキッカケ・・)。大阪で当時の上司と退職に際していろいろ話す中で、「岡山の津村啓介という脱サラが頑張っている」というお話をいただき、正直迷っていたところ、「ちょうど投票日があなたの誕生日だし、何かの縁だと思っていけばいいじゃん!!」って誰だったかなぁ・・背中を押されたことを覚えています。もし岡山に来なければ、この2年間で出会った沢山の方々との出会いもなかったわけで、全く違う29歳の自分がいたんだろうと思います。そう思うと不思議な感じがします。その時々のターニングポイント。選択が違っていたら、もっと違った人生があったのかもしれませんが、今こうして岡山に来て良かったと思えることを幸せだと思っています。
・・・ただ、せっかくの記念日が「代議士誕生○○周年!!」の陰に隠れちゃうのはちょっと寂しいですが。。ちなみに東京の榊原女史もなんと本日が誕生日!少ないスタッフの中で同じ日生まれの人がいるのも珍しいですよね。なにはともあれ、いよいよ30代になろうというこの1年。日々後悔のないように過ごしていきたいと思っています。
本日で、第163回特別国会は閉会しました。9月11日の総選挙から、まだ2ヶ月もたっていないとは思えない位、色々なことがありました。8月8日の解散は、遠い昔のことのように感じますが、たかだか3ヶ月前の出来事です。
総選挙後の議員会館の様子は、今でも忘れられません。総選挙翌日、岡山から議員会館に直行すると、まだ閉鎖中の事務所も多くひっそりした感じでしたが、翌々日から残念な結果だった事務所の片付け&引越し作業が徐々に始まり、ごみ捨て場はものすごい量の書類で一杯です。家具等粗大ごみも続々運び出され、裏玄関に引越し業者トラックが沢山いる一方で、表玄関に再選者への蘭の鉢植え満載のトラックが付けられている・・・正に悲喜こもごもです。(この光景は、さんざんテレビでも流れていたので、ご覧になった方も多いと思います。)選挙後まずはほっとし、「おめでとうございます」「お帰りなさい」と顔なじみの売店の方に声をかけられたりして、段々と喜びを実感しながらも、議員会館をひとまず去られる方々のご挨拶を受ける時は、何とも言えない気持ちになります。そんな中、何人かの方が「○×(その方がついていらした議員名)は、4年後必ず戻ります!」ときっぱりおっしゃっていたのが、大変印象的でした。
彼らの退出が終わると、次は空いた部屋のリフォームが始まります。新人&復活議員が入るためですが、壁紙やじゅうたんまで換えるのには驚きました。9月の三連休をフル活用されていたようです。真新しくなり、がらんとした部屋には、部屋の割り当てが決まると、微妙に字体の異なる(今迄よりも少し細い感じ)表札がかかり、今度はそこに蘭の鉢植えが運ばれます。(それにしても、何故蘭ばかりなのでしょうか?高価で、長く咲いているから?)
そして、9月21日に開会した第163回特別国会。久しぶりに本会議を傍聴しましたが、解散前と一見同じに見える本会議場を埋める議員は、実はかなり前国会とはメンバーが異なるわけです。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。」本当に多くの方々の様々な思いが、国会に込められていることを常に忘れてはならないと思います。
本日をもって第163特別国会が閉会しました。先週、会期末でしたが、津村は火、水、金と3回も質問に立ちました。政策秘書が空席ということもあり、増田と私が上京してサポートに当たりました。私が担当したのは法務委員会です。
国会で質問すれば、政府から答弁があります。誰が答弁するか、がどうやって決まるか、ご存じですか?実は、委員会審議のいわゆる「質問取り」にやって来る官僚の皆さんにとって、重要な仕事の一つが「答弁者の確定」なのです。
質問取りが終わると、おもむろに「先生、答弁者なんですが・・。」
「政府参考人でよろしいでしょうか?」
津村「いえ、政治家の方でお願いします。」
「できれば政府参考人でお願いしたいのですが・・。」
津村「いいえ!大臣か副大臣か、どうしても難しければ政務官にしていただいて下さい。」
「・・分かりました。」
この場合、政府参考人というのは、その省庁の官僚を意味しています。よく、政治家は勉強していなくて、官僚任せにしている、と批判されるのがコレですね。津村は、国会では与野党の政治家どうしがしっかり議論するべきだと考えています。民主党も「委員会の質疑にあたっては・・対大臣質疑を優先する。」「大臣に代わって、副大臣・政務官が本会議で答弁することは認めない。委員会についてはやむを得ない場合は副大臣・政務官の答弁も認める」という方針です。しかしなかなかそうはなっておらず、先日の津村の質問の際にも、現状を象徴するような出来事があったのです。が、長くなりましたので、それは次回に。
| 2005/11 |