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秘書・スタッフ日記 2005年 7月1日〜31日


 I さん 「皆さんにありがとう」 2005年07月31日(日)

郵政民営化関連法案の衆議院通過に伴い、衆議院解散総選挙の可能性が強まってきました。周りの慌ただしさの中、私事で恐縮ですが、昨年8月1日より津村事務所のスタッフになりましてから、本日をもって、1年になりました。この間、事務所の皆さんには、大変お世話になりました。また、支持者の皆様方にもお声を掛けていただくなど、感謝の気持ちで一杯です。本当に有難うございました。今後とも、津村議員ともども宜しくお願い致します。



 河田 「真夏の国会見学!?」 2005年07月25日(月)

先週の土曜日(23日)に地元岡山から国会見学にいらっしゃいました。剣道のスポーツ少年団の元気な子どもたちと、付き添いのお母様方、先生たちというご一行様です。

今、国会周辺では、「クールビズ」ということで、冷房の温度を28度に保つ代わりに、半そで・ノーネクタイという服装が認められています。ただでさえ、外からいらしたお客様は、議事堂内は暑いということに驚かれるようです。しかし、土日は、通常は議事堂内は閉まっているので、クーラーが効かないのです。ずっと猛暑が続いていたので、見学当日は、どうなることかと心配しておりました。

当日は、最高気温26度という絶好の土曜の国会見学日和!みなさんの心がけがよかったのか(?)、涼しいお天気に恵まれました。

議場見学では、「うわ〜テレビで見るのと一緒だ!」。本館の珊瑚で出来た柱を見て、「あ〜、化石がある!」と、大興奮!?の見学でした。
国会議事堂の見学終了後、議員会館の裏にある剣道の「武道場」の見学というおまけつき。なんと、このスポーツ少年団の先生と、国会の武道場の先生は、剣道連盟で役員をともに務めるお知り合いだそうで、世の中狭いですね。
その日の夕方には、震度5弱の地震があり、電車が止まって足止めをくらっていたようですが、色々なことを経験し、思い出深い一日になったのではないかと思います。



 増田 「佐々木毅前東大総長講演」  2005年07月24日(日)

先日、東京にて「国のかたち研究会」合宿に参加しました。2日目に佐々木毅前東大総長の講演を拝聴。講演の中で所得の補足が出来ていない現状を日本の政治・政策体系のガンと厳しく指摘され、現在の弱肉強食政治における政府の力の弱さを述べられました。また、近年ナショナリズム、ナショナルプライドが日本に感じられなくなったことを挙げられ、経済のサクセスストーリーがナショナリズムを吸収し政策の大半がどこかよその国で行われたものの後追いになってしまっていると話されました。

「今、自民党政治に起こっていることが民主党政治では起こらないのか?」

最後に投げかけられたボールは重たいものでした。変わらない「永田町・霞ヶ関」、どのような関係を民主党政権が築いていくのか、マニフェストを行政機構に浸透させる体制をどう作っていくのか、それが見えることを国民は望んでいます、とのご指摘。自民党との違いをどう打ち出すのか、考えさせられた講演でした。


佐々木毅前東大総長


 田中 「カラオケ同好会」 2005年07月20日(水)

先日、日頃お世話になっている企業のOBの方々の集まりのカラオケ同好会に参加させていたきました。この会にはもう何回も参加させて頂いており、今回は私一人のみの参加にもかかわらず、皆さんあたたかかく迎えてくださり、急きょ私の出番もつくってくださいました。みなさんすごく歌がお上手で、そんな中で歌うのは歌の苦手な私としては勇気が少しいりましたが、ええい!とふんぎりをつけ、Nさんというすごく歌の上手な方をお誘いして『3年目の浮気』を熱唱いたしました次第です。。。

歌い終わったあと、飛び入り参加されていた市長さんからも、「あなたの歌をもっと聴いてみたいなあ」と誉めて(?)くださり、デュエットしたNさんからも、今度も歌おうと言ってくださいました。

その後、一人一人の席をまわりながらご挨拶させていただき、本当に楽しい時間をすごすことができました。皆さん本当にありがとうございました。私ももっと歌の練習を積みますので、これからもお誘いください。よろしくお願いします。



 佐竹 「65年間の“ソロクト”」 2005年07月19日(火)

外務・防衛合同部門会議以外に、もうひとつの会議がありました。少し長い集会名・主催者名ですが、それだけで中身がわかるので、あえてフルネームで書きます。

「ハンセン病問題における残された課題である 韓国ソロクト、台湾楽生院両療養所に係る裁判の結審を受けて」報告集会 主催「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」 会長 江田五月

“ソロクト”は小鹿島(日本語読み旧ショウロクトウのことです、コジカジマではありません)、韓国の一小島です。そこに戦前の日本政府は1934年小鹿島更生園を作り、ハンセン病患者を永久隔離したのです。今日来日したのは、「二十歳からソロクト65年」85歳のチャンギジン氏でした。彼は補償請求原告団の一人です。
 日本国内での悲惨に輪をかけた、強制労働と人種差別(職員は全員日本人で、敗戦即職場放棄帰国)で、彼も両手両足の先半分がありませんでした。療養所での強制労働など常識では考えられないことが行われていたのです。

過ちを犯したとき、速やかに罪を償うことが正しいと大人は子供らに語るでしょう。しかし、請求されるまで放置し、請求されると2004年8月補償金を支給することを拒否したのです。そしてこの「国の決定=処分」取り消し訴訟が起こされ、本日が結審の日だったのです(判決は10月25日)。戦前の旧政府がアジアに残した過ちはいくつもあります。新政府は率先して自ら事情を調べ、過去を謝り償うのが「大人の説教=子供の常識」ではないでしょうか。しかし“見当違いの”愛国者が“ご先祖は何も悪いことはしていない”、“証拠がない”、“彼らは現在外国国籍”、などと逃げ回っているので、日本の政治は国際信用がないのです。

国連分担金とODA金額を振り回すだけでは、日本国は信頼と尊敬を集められるはずもなく、指導的国家にはなれないでしょう。ましてや、唯一の軍事・経済超大国に付随しているだけでは信頼と尊敬は日々失われているかもしれません。

日本の外交は、眠っているか死んでいるのです。



 赤迫 「自分で何ができるのか」 2005年07月18日(月)

18日におこなわれた民主党岡山県連の基本政策勉強会より。
津村事務所からは丸山と私の2名がお手伝いを含めて出席しました。


民主党基本政策勉強会

前半は菅源太郎さんを講師として「年金改革の現状と問題点」の講義。資料なども整理されており、とても分かりやすい内容でした。私を含めて「年金なんてまだまだ先のこと」と思っているような世代にもっと聞いていただきたいのが素直な感想です。

後半は静岡県からお越しいただいた藤本祐司参議院議員から「地方分権について〜地域主権型社会の構築に向けて」。地方政治に関心を持ったことで今の仕事にたどり着いた私にとっては大変興味深いテーマです。

その中の「地域主権」という言葉について思うことがありましたので以下にひとこと。「国や行政に何をやってもらえるか?」を始めに考えるのではなく「自分たちで何ができるのか?」を考えることから始めるのが「地域主権」の基本的な考え方です。全国一律で住民不在、かつ「高コストで不満足」の街づくりから、住民を主役とした柔軟性のある街づくりへの転換には、各自治体、そしてその住民が自ら考え、実践していく姿勢が重要です。

若干話が飛びますが、国会議員の定数についてもこのテーマは土台となるべきです。地方分権・地域主権が確立した上で中央と地方の役割を明確にし、その後に数の話をするべきで、単純に国会議員の定数のみを諸外国などと比較して多い・少ないの議論をするのには違和感を覚えます。

余談ですが、この講義の翌日に研修先の静岡県にて藤本議員の秘書の方と偶然お会いしました。ありきたりの言葉ですが、日本って狭いなと実感しました。



 I さん 「最新津村事務所事情」 2005年07月17日(日)

事務所にあまりお見えになれない支持者の方々にお知らせ致します。

最近の津村事務所は、二名の新人秘書の参加とともに、大変活発になってきております。新人秘書は、二人とも若く、まさに「若い力!」そのものです。
企業では、後輩の指導を任せると先輩達も頑張るので、その相乗効果は大きいと聞きますが、最近の先輩秘書達を見ていると、まさに、そうなのかしらと思っております。

これからも、切磋琢磨して、ますます成長していって欲しいと願っております。



 (助っ人)益田 「またも谷町出現に感謝!」 2005年07月16日(土)

以前掲示板を設置させていただいたお店に、お昼を食べに寄ってみました。
ここはラーメン屋の看板を上げてるのに「カツ丼」がうまい 。
他には無い?変わった味が面白くて時々食べに行ってるのですが、「たこ焼き的魔力」があって、思い出すとなんとなく吸い寄せられるように食べに行ってしまいます。

で、食べ終わって、まんぷくのおなかを突き出してボーっとしてる僕の所に、御主人と奥様が吸い付くように寄ってきて、「津村君のお手伝いをしたいんだけど、どうしたら良いんだろうか?」と聞いてきた。

「!?・・・、一番好きなやり方で手伝ってやってください、・・・僕は日曜大工が趣味なので掲示板の設置をしてますが、他にはチラシ配ったり、友達集めてミニ集会開いたり、中には車を提供してくれる方もおられます。・・・」 などなど説明しました。

そしたらその御主人が、「よぉ〜っし、それなら俺は、カツ丼を提供するョ! 民主党の看板付けた車で乗り込んで来てもいいよ!」
奥さんも「じゃあ、アタシはチラシ持って友達んとこ廻ってくるよ!」
・・・って、マジなのです。目が本気!!

最近こんな人達に出会える事が多くなってきました。
私も自称「助っ人」で手伝いながら、こんな出会いが楽しくてやめられません。


追記
ただし、「つむジム」の若者達へ。。
だからといって、「M亭」に皆で押しかけて「カツ丼」をハイエナの様に食った後に「げっつむ」の束と寄付の振込用紙を置いて「ヨロシクッ!」ってな事をするのではないぞ! わかってるか?!



 増田 「秘書研修 in さいたま」 2005年07月14日(木)

7月10日11日の2日間、埼玉県の先輩代議士の地元事務所に研修に行ってきました。

まだまだ日々の活動に関して充分なノウハウのない津村事務所。昨年も何人かの秘書が全国あちこちの事務所へお邪魔して勉強してきましたが、今年も地元6名の秘書全てがこの7月中に全国に散って勉強してきます。

その第一弾として、今回私の埼玉出張。短時間ではありましたが、仕事のレベルの違いを痛感して帰ってまいりました。代議士をはじめスタッフの皆さんにはご多忙中にもかかわらずとてもよくしていただきました。本当にありがとうございました。また伺います!!それではミニレポートを。。


7月9日(土)は夜行われた納涼イベントに参加する秘書4名と共にピュアリティまきびへ。19時。お声をかけていただいたOさんにご挨拶をした後、みんなに任せて単身岡山駅へ。
10日(日)は朝9時に埼玉の北浦和、なので岡山発20時7分の新幹線が最終。0時37分さいたま新都心駅着の予定だったが、1本早く19時42分の新幹線に乗ることが出来た。

このところ新幹線での移動が続いたが、片道3時間半の車中は読書をすることにしている。ちなみに前回移動時の読書は「頭がいい人、悪い人の話し方(樋口 裕一)」「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?(山田 真哉)」「203号室(加門 七海)」の3冊。今回は「終戦のローレライT〜W(福井 晴敏)」を4冊ごっそり持ち込んだ。

比較的空いた車中で、お弁当も買い快適な読書の旅を・・・と思っていたら、静岡付近で大雨、新幹線ストップ。。なんと米原で2時間半の停車。流石に引き返すわけにもいかないので焦る。予約した埼玉のホテルは当然キャンセル。睡眠不足で行くのはちょっとなぁと思い、23時以降は車中で仮眠。東京についた頃には1時半を回っていた。
さてどうしよう。。。東京駅で用意された停止列車内で休む人も沢山いたが、とりあえずお風呂には入ってキレイにしてかないとと思い、東京駅付近の(歩いててたまたま見つけた)カプセルホテル&サウナへ。お風呂に入った後、4時半〜5時頃、何人かの人の喧嘩で目が覚める。みんな元気。・・・でももう少し静かにしてください。。

それでも10日(日)、7時過ぎに元気に東京駅へ。埼玉までは3〜40分。実は初めての土地。北浦和まで鈍行に揺られて、8時前に無事到着!安心したらお腹がすいたので、駅前のマクドナルドで朝食。

8時45分頃、2日間お世話になるT代議士の事務所へ。T代議士は地元でしっかりとした後援会活動をされておられることで有名な方。前回の衆議院選挙では対立候補をダブルスコアで破っています。・・緊張。
「おはようございますっっ!」軽くテンションを上げて事務所に入ると、代議士ご本人もおられ、すでにお仕事をされていたA政策担当秘書、M秘書、U秘書にご挨拶。
そこから1時間半ほど、代議士に直接お話を伺える機会をいただきました!中々直接お話できる機会もないのかなぁと思っていただけに吃驚!わざわざお時間を空けていただいたようで感謝しきりです。・・・年間活動計画、イベントの効果的な打ち方、各種団体とのお付き合い、秘書の皆さんの役割・・・等々企業秘密であってもおかしくないお話をとても丁寧に。

少し緊張もほぐれてきたところで、10時過ぎから、民主党のH市議会議員、M秘書と共に流し街宣。浦和の街の商店街を朝吹き込んだばかりのT代議士のテープを流しながら走る。それにしてもM秘書運転上手すぎ。これもほんとにビックリ。「何が出来るだろうか」と思いながら、「こんにちわっ!民主党です!ありがとうございます!」の声だし。天気も良く反応も上々。

12時に事務所に一旦戻り、A秘書・M秘書と連れ立って昼食。
実はA秘書、上尾市で最年少市議会「議長」までつとめられた方。ご自身のHPもお持ちとのこと。お二人ともとても気さくに話しかけていただいて、思わぬ裏話もお聞きしてしまいました。。

13時から再び流し街宣。市街地を少し離れた住宅街を17時までみっちりと。
少し休憩を挟んで、18時からは翌日の朝街宣の準備。今出来たばかりのチラシを1500枚(うちの3倍ですね)刷り上げて、折機にかける。朝街宣のテープもそうですが、鮮度の高い情報を発信する努力を随所に感じます。
21時前に作業が完了し、A秘書・M秘書・U秘書と連れ立って中華屋さんへ。23時ごろまでここでもまたじっくりとお話。あのブラジル代表もプールを利用したという「ラフレさいたま」泊。0時過ぎに就寝。


11日(月)は朝の街頭演説から。6時45分スタート。T事務所では「駅頭(えきとう)」と呼びます。
「朝のビラ配りだけはツムジムの意地を見せなければ!!」と張り切って、田中秘書の雄姿を思い出しながら配る。・・・チラと後ろを振り返れば、T代議士はマイクを握って話しながらビラを配るという超絶テクニックを披露。そして・・・なんと1人で500枚(!)を配られました。私は370枚。・・・参りました。M秘書ともあわせ1日で1000枚強のビラ配り。終了後3人で近くのお蕎麦屋さんで朝食。

事務所に戻り「週間ミーティング」を横で拝聴。事務所主催イベントの数も半端ではないですが、ひとつひとつ丁寧な確認作業。T代議士の柔らかい口調が横で聞いている身ながらプレッシャー感じるくらい、真剣で緊迫感のある会議。

11時半過ぎにU秘書と共に出発し、岩槻区(合併で市から区になりました)で行う国会報告会の準備。途中支持者の方と合流し、昼食は「つけ麺」。
岩槻事務所に到着してからは、資料印刷、セット、設営、、とあっという間に時間が過ぎる。T代議士の事務所では、秘書一人一人が責任を持ってイベントを担当し、人手が必要な場合も独力でボランティアの方を見つけねばなりません。甘えのない、厳しい運営。

今回の国会報告会、当初40名程度を予定していた会場に60名以上(事前判明分)の方が来られる大盛況。でなんとスクリーンを使って2つに分けた会場を中継で繋ぐという試み(ほんとに初めてだったらしいです。。)でしたが、U秘書の手際よい準備で見事大成功でした。

21時前、報告会を終えられたT代議士は支持者の方の打ち上げをハシゴ。
22時過ぎ、片付け等最後はバタバタしましたが、秘書の方々にお礼を申し上げて、2日間の日程を終えました。23時前の電車で東京へ。


この2日間、土地は違えども同じように(圧倒的にレベル高く)頑張っておられる代議士や秘書の方の姿を見ることが出来、とても刺激的でした。仕事の悩み等についても、時に皆さんどこかで同じような思いを持っているんだということが分かったり、今まで全く自分では気付かなかった工夫をされていたり。知恵と勇気をいただいた気がします。
本当にご多忙中のところ、先週突然決まった研修にもかかわらず、快く受け入れていただき、また色々とご教示いただいたT代議士と事務所の皆様には本当に感謝しています。とてもいい人達に出会えたと嬉しく思っています。この経験をどのように岡山で生かすか、岡山の仲間と相談しながら(全部マネしたら入院者が出そうですから。。)進めて行きたいと思います。



 赤迫 「ボランティアDAY」 2005年07月12日(火)


ボランティアDAY

先日、10日はボランティアの方を集めての一斉ポスティング、懇親会の日でした。
ポスティングは、天候状態が怪しいにも関わらず6名のご参加。急な募集でしたので、どのくらい集まるか不安でしたが想像以上でした。

ただ、集合していただいてからの天気がやはり思わしくなく、少しの間は室内でのチラシの折込作業。今回は同じ岡山の高井崇志さんのチラシも折り込んでのポスティングとするためです。ポスティングへの出発時には雨が止み、何とかなるかな、と思いながらのポスティングスタート。事務所スタッフを加え、総勢10名でのポスティング。しかし、開始後しばらくしてからポツリポツリと降り出しました。天候は誰の責任でもない、という励ましのお言葉を後で下さった方もいらっしゃいましたが、少し判断が甘かったかな、と反省。

しかし、こんな天候の中でもK地区に1330枚程度の実績でした。短時間の割にはかなり周れたのでは、と思います。後日、「あのチラシ見たよ、頑張って」というお言葉もその地区の方から頂いております。本当にボランティアの方に感謝です。

その後の懇親会は日曜の夜でしたが多くの方が集まり、大盛況。年齢層も幅広く、遠方からお越しの方もおられて賑やかな宴となりました。その後の2次会はカラオケへ。皆さん歌が上手で驚きです。


最後になりますが、担当を任された私の不手際もあり、多くの参加者の方にご迷惑をおかけしてしまったかと思います。この場を借りて、お詫び申し上げます。ただ、あいにくの天気の中、ポスティングをしてくださった皆様、次の日が仕事という方も多い中懇親会に参加してくださった皆様には感謝の念が尽きません。
今後もどんどんボランティアの企画をしていき、輪を広げたいと思っております。私も今回の反省点を踏まえ、より良いものにしていきたいと思いますので、これに懲りず、今後もよろしくお願いします。
また、新しいボランティアも常時募集中です。ポスター貼りをやってみたい方、新しい出会い(?)を求めている方、議員事務所に興味のある方などお気軽にご連絡ください。



 根木 「女性の会やります!」 2005年07月11日(月)


女性の会打ち合わせ

第1回女性の会を開いてから、約1年半あまり。すっかりご無沙汰しておりました、女性の会の第2回目を開催しようとただいま計画中です。
「え?女性の会??そんなのあったの???」とご存知ない方もいらっしゃるかもしれません・・・。それくらい、レアな企画!(と開き直って)第2弾!!の準備を進めております。

事務局は私が統括を務め、田中、丸山、江田事務所の藤原秘書と女性ばかりで構成しました。女性の会は女性が主役ですから☆さらに事務局のひとりよがりのイベントにならないよう、支持者の方のご意見を反映すべく、一部の方々にも会議に参加いただきました。
イベントの内容はまだこれから練り上げていかなければなりませんが、ご参加いただく皆様と津村がふれあえる、アットホームな会にしたいと思います。ご期待ください♪



 田口 「人命救急訓練」 2005年07月10日(日)

7月10日消防団の人命救急訓練に参加した。
9:00開始でできれば皆さんと一緒に訓練を受けたかったが、次の予定で詰まっていたためすぐに退室しなければならなかった。そこで、約1時間早めに会場へうかがい、消防署の方に一通りの訓練を受けることにした。人工呼吸など中学校で1回、運転免許を取る過程で1回と過去に2回しか行ったことがない。やはりほとんど忘れていた。また、人工呼吸の手順など、自分が習ったときとは変わっている部分もあり、改めて勉強になった。

最近一般市民のAED(自動体外式除細動器)使用が認められ、消防署も講習を行っているらしい。病院でよく見かける、心臓に電気を流し再起動させる小型のものだが、機械が自動で心臓の鼓動を読み取り、充電し、電気を流すという過程を行ってくれる。訓練すれば誰でもつかえるようになっている。最近では、老人ホームなどでは購入されつつあるらしいが、まだまだ普及はしていない。こういうAEDなど誰でも使えて便利であるにもかかわらず、知らない人も多いと思う。(自分もこの訓練ではじめて知った。)

こういった救急訓練は、日ごろ訓練していないと、いざというとき混乱して行動できないと思う。教育課程で定期的に最新の訓練を行い、すぐに実行できるよう備えていく必要があるのではないだろうか。



 丸山 「天満屋街宣・ビラ配布」 2005年07月09日(土)

7/9(土)この日も、天気は不安定。。。雨が強かったら見送ろうか・・・傘や荷物を持ちながらビラを受け取ってくれるかな・・・かえって迷惑じゃないかな・・・人は出てるのかな・・・etc小さな心配をいくつかかかえながら、14:00津村事務所秘書総出(会議出席中の増田をのぞく全員)で、天満屋へ。

用心すること・考えることも、もちろん大切なことですが、一番大切なのは行動すること。考えていても結果はでないですものね・・・と改めて実感。

天満屋街宣・ビラ配布作戦は、結果大成功!!

あいにく雨は降り止みませんが、実に幅広い年齢層の方々がお出かけでした。表町・一区でのビラ配布。しかし「私二区なのよ」「津村さん応援してるわ」と興味を示してくださる方多数。議員の演説にも力が入り、気付けばあっという間に、16:00。

私にとっては初の天満屋街宣でしたが、先輩秘書によると、前回おこなった時よりもだいぶ反応がよくなっているとのこと。大変嬉しくありがたいこと。

一人でも多くの方々の心に届くことを願って今後もしっかりと、活動してまいります。



 佐竹 「“解散”の 香り漂う 梅雨の庭」 2005年07月08日(金)

東京都議選などもあり、久しぶりの「財政健全化プラン検討会」が7月7日に開かれ、「野田プラン(第一次案)」が討議了承されました。その内容は、次の内閣の承認後初めて公表されるでしょうから、本日の日記はそこを避け、やや脱線します。検討会参加の参議院の秘書の方々が衆議院の解散について“かなり自由に”話されており、その後も情報収集に歩いた結果です。

“8月解散の可能性は6:4”!?というのが「総意」でありました。つまり、参議院では郵政改革法案は可決されない、というのです。自民党の18人が反対すれば否決なのですが、「16人は“岩”、さらに6〜10人が“鉄”」状態では、さしもの“青木村長”も溶かせないないだろうという観測なのでした。否決となれば解散というわけです。「それにしても衆議院には緊張感がないね」とネジを巻かれました。

しかし否決=解散ではない、との見解もあります。法案未成立であっても可決した衆議院の方を解散するのはおかしい、と衆議院で賛成した森派の森喜朗会長・宏池会丹羽会長代行も批判しています。自民党はそれほどバカではない、というのです。たしかに、「否決=総辞職」という選択もありますし、「否決可能性大=継続審議」という手段が普通です。まして党内問題での解散は自民党にとって不利なことは容易に想像できます。

そこで問題は結局、青木自民党参院会長の“神通力”と小泉総理の“狂気力”の勝負というわけです。狂気力が怖ければ神通力を示すしかないと・・。といっても、「修正容認といえば際限がなくなるから、修正には一切応じないという嘘も当然」という総理の感覚からすれば、総辞職や継続審議も同じことかも知れません。

参議院の方々は青木会長の神通力には翳りを感じ、他方小泉総理の狂気力には恐れを抱いているのです。継続審議は許さない、総辞職などとんでもない、修正して参議院送付すれば成立させるとの約束を守れ、という訳です。解散率60%の論拠はこれですが、いずれにせよ不気味な話です。

8月解散となれば、与野党とも日頃の蓄積で戦うしかありません。日頃の蓄積は大丈夫かな?



 赤迫 「郵政の採決」 2005年07月08日(金)

先日5日、今回のヤマ場であった郵政民営化法案の採決が行われました。

まずはそれに至る先週からの代議士の動き。東京・岡山間を行ったり来たりで、日帰り日程あり、夜行での移動ありなどとタイトなスケジュールとなっていました。岡山で朝街宣をしてそのまま上京、逆に朝の帰岡後の街宣という日もありました。数往復の日程や街宣中の代議士の口調などからは緊迫した情勢が伝わってきました。

そして採決当日。休みだった私は家で国会中継を観ていました。否決→解散になった時は事務所に駆けつけられるように一応準備もして。
しかし結果は残念なものとなってしまいました。ただ、国民に与えたインパクトは相当なものだったのではないでしょうか?
さまざまな諸事情等により、法案に反対であったものの欠席された方、賛成票を投じられた方を考慮すると、事実上この法案への反対のほうが過半数を占めることになります。現政権にノーという大きな声を突きつけているのが現状だと思います。

代議士を含めわたしたちスタッフも常に気を引き締め、これから臨んでいこうと改めて思わされた一日でした。



 増田 「久しぶりの上京」 2005年07月07日(木)

久しぶりに(とはいっても3ヶ月ぶりくらい?)東京事務所に来ています。

郵政民営化法案が残念ながら衆議院を通過し、7月解散はなくなったようですが、いつ解散総選挙になってもおかしくありません。そんな中ですが、地元での取り組みを一層パワーアップさせるために、先輩議員の事務所で研修してこよう!という企画をしています。今回はそのお願いのための上京。地元秘書みんなの希望と代議士の「秘書に学んで欲しいこと」をあわせ、研修先を決定しました。6人の秘書がそれぞれ別の事務所で研修するため、行き先は6箇所にもなります。各事務所で日々努力・工夫されているノウハウは一朝一夕に真似出来る物ではありませんが、いいところを少しでも吸収して地元の活動に生かしていきたいと思います。

・・・2泊3日のバタバタした上京。東京で友人達も含め全ての皆さんにご挨拶出来なかったのは心残りですが、3月に宮城でお世話になった秘書の皆さんの元気なお顔を幾つか拝見でき、ほっとしたところで今から岡山に帰ります。。



 赤迫 「空襲体験から」 2005年07月04日(月)

先日、岡山空襲についての体験談を聞く機会がありました。

体験を語る方としても、当時の記憶が鮮明によみがえり辛いことのようです。私は、お話を元に想像しながら聞くことしかできません。それでも悲しい、辛い思いはそのお話の内容はもちろんですが、表情や語り口からも伝わってきました。

世代交代が進み、「戦争を知らない子供」の意味も変わってきているように思えます。つまり、「戦争を実際には体験していない」という意味から「日本が戦争をしたことを知らない」子供が増えているのではないか、ということです。
過去の悲劇を語り継ぎ、その悲惨さを後世に伝えない限り、また同じ悲劇を繰り返してしまうのではないでしょうか。私たち、戦争の悲惨さを直接聞くことができる世代は、戦争の記憶を風化させないようにすることが最低限の役目ではないでしょうか。

すでに戦後60年が経ちますが、先の大戦が私たちに課している宿題はまだ終わらないようです。



 丸山 「戦没者追悼式」 2005年07月03日(日)

終戦から60年。
今日の日本の平和と繁栄は、先の大戦にて 心ならずも命を落とされた方々の尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。

私も先日(6/29に)おこなわれた「岡山市戦没者追悼式」へ議員とともに出かけてまいりました。会場は戦没者遺族の方々や、平和を強く願う方々で埋め尽くされていました。
式が始まるとすぐに、戦後60年の記録映像上映です。時間にすると15分ほど。すべてを語るには短すぎる時間ではありますが、そのなかで、戦災・復興・発展と話は次々に展開されます。。。
上映終了と同時に、私の目には涙を拭われている女性の姿が飛び込んできました。戦没者御遺族の今もなお消えることのない深い苦しみ・悲しみを目の当たりにし、私は何を思えばいいのか・・・とやりきれない、思いでいっぱいでした。

その後、議員の追悼のことばの中に、「大戦にて近親者を亡くされた方から『6/29暑いさなか、死者を埋葬することもままならなかった。無念を遂げた人間のその無念を忘れない』と述べられて以来、私は何を思えばいいのか、どこへ向えばいいのか、今も自問しています」との一文がありました。

私も多くを感じ考えさせられましたが、自問を繰り返しすすんでいくしかないのでしょう。戦争を経験していない私たち。日々平和であること・幸せであることが当り前になっている私たち。この当り前が当り前ではなく、戦争の犠牲となられた方、戦後の傷を持ちながらも、たゆまぬ努力によって今の日本の土台を築き上げられた方々のおかげであることを、改めて認識し、誇りと感謝をもって一日一日を大切に生きていかなければなりません。

終わりに、戦没者の方々のご冥福とご遺族の今後の御平安とご健勝を心からお祈り申し上げます。



 I さん 「子供達に安全を!」 2005年07月02日(土)

大学在学中、児童福祉ボランティア「ドンキホーテ」の代表をしていたほど、子供好きの津村議員は、昨今の子供達の悲惨な事件を耳にする度、ひどく心を痛めております。そんな矢先、灘崎小学区で、児童の安全確保策を考えようという初協議会が、開かれました。子供達の安全は、何より地域の協力が大切です。時代とともに悪質な犯罪が増えている現在、子供達の健やかな成長のために、一人でも多くの善良な大人達が、暖かい手を差し伸べることが必要です。



 根木 「メッセージ」 2005年07月02日(土)

明日予定されているイベントが、丸山秘書の頑張りによっておととい夜発覚?し、昨日メッセージ担当のIさんに代わって、急遽メッセージを作成しました。

代議士当選から10ヶ月ほど私がメッセージを作成していたのですが、それは私にとって大きなプレッシャーでした。様々なイベントに向けて文章を考えるのに時間がかかり、言葉の言い回しや、他の議員のメッセージにひけをとらないような文章にしなければ悪い意味で目だってしまう等、作成するにあたって気を使わなければならないことがたくさんありました。メッセージに大きな時間を割かざるを得なかった私を見かねて、代議士がIさんにお願いをして、去年の8月から週末来ていただいています。

Iさんはデキル女性なので、代議士の日程にマーキングしておくと、イベントの内容なども調べて郵送までやってくださいます。Iさんのつくる文章は気が利いていて、私にはとてもマネができません。「『いい文章だなあ』と思って聞いてたらウチのだったよ」とイベントから帰ってきた代議士が言ってたことも少なくありません。

昨日、久しぶりに作成してみて、Iさんのありがたみを改めて実感しました。私がこれまでメッセージのことを負担に思わず日程管理に集中できたのは、本当にIさんのおかげです。Iさん、これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m



 増田 「旭川荘改築竣工記念式典」 2005年07月01日(金)

本日は、旭川荘療育センター児童院ならびに旭川敬老園の改築竣工記念式典に議員の代理で出席。200人以上が集まられており、加藤衆議院議員・谷合参議院議員の他、萩原市長らがご挨拶されました。行政関係の方々に加え、医療・教育関係からも幅広く来られ、来賓の方だけで60名以上!ということで紹介はペーパーで行われました。

昭和32年の創設からもうすぐ50周年の節目を迎えられる歴史ある旭川荘。施設を整えられ、これから一層充実した福祉を提供しようという最中の昨日の信じられない出来事。江草理事長をはじめ皆さんがご挨拶で、昨日の火災について触れられました。理事長のお言葉の中に「痛恨の極みとしかいいようがない」とありましたが、会場に来ておられた皆さん同感だったと思います。亡くなられた方のご冥福と、お怪我をなされた方の一日も早いご回復をお祈りします。そうした状況下での新しい出発、本日の式典は極めて引き締まった中に強い決意を感じさせるものでした。


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2005/7

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