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秘書・スタッフ日記 2004年 11月1日〜30日


 田中 「ホームミーティング」 2004年11月30日(火)

先日、とある支持者のお宅でホームミーティングを行いました。
議員を中心にぐるりと取り囲み、各次おのおの思うところを議員にぶつけていくという形式のホームミーティングでした。この支持者の方のお宅でのホームミーティングは2回目で、前回も真剣な議論が交わされましたが、今回も負けず劣らず議論が白熱し、予定時間の2時間もあっというまに過ぎてしまいました。 

私はこういったホームミーティングが大好きです。街宣車に乗ってマイクを持つことも大切です。橋の上に立って、道行く人々に語りかけるのも大切です。でも、議員と同じ目線で、そしてすぐそばにいる議員に自由に意見を述べることができる場(空間)、というのはものすごく大切ではないでしょうか?
誤解を恐れずに言えば、別に支持してくれなくてもいいんです。議員を直にみて、話を聞いて、その上で自分は応援できないと判断して周囲にその印象を話してもかまいません。大切なのは、支持するとか、支持できないとか、そういったことではなく、政治に対する関心そのものではないでしょうか。

政治というものをぐぐっと身近にするためには、こういったホームミーティングはとても大切だと私は思います。



 増田 「変化。」 2004年11月20日(土)

当選してから1年と11日が経ちました。今日は少し時間をとって、1年前2年前の代議士日記(当時は「活動」日記っていったかな?)とかスタッフ日記を読み返して見ました。自分がいたのはちょうど1年前からなので、登場するのはほんの少しだけですが、ず〜っと読んでいくと、岡山に立ってからの議員(当時はツムツムとか書けてたんだよね)の活動や、それを支えてきた本当に沢山の人々の一つ一つの努力が、日記の中に溢れてるんだなぁとあらためて心強く思いました。

変化。時々、「最近事務所の雰囲気やスタッフメンバーもだいぶん変わったよね。」って言われることもあります。少なくとも議員が当選してからは、みんなが「血税をいただいて仕事をしている」という強い認識を持って働く中で、互いの呼称等も含めて、少しでも社会人としての成長をした結果かなぁと思っています。
加えて、「若い」スタッフが多い分、それぞれの可能性や選択肢は広く、この1年を振り返れば人の出入りもありました。それでも、今在籍するスタッフが、新しい道に進んだ仲間たちを背中に感じて心強く仕事が出来るのは本当にありがたいことです。

日々に忙殺されて、ともすればツムジムの本来の武器であった、誰に対しても風通しがいいところや「若い力。」の勢い、思い切りの良さを、見失いそうになることもあります。そんなときはこうして過去の歴史に触れることが足許を見つめなおすことになるんだと思います。これまで良かったところを失わず、そこに新しい何かを付け加えていくことって簡単なようでとても難しい。1年たって、みんなの日記や写真を見て、あらためて再スタートを切るような思いです。



 山崎 「無防備地域宣言」 2004年11月15日(月)

昨日、下市岡山市会議員からのご案内で「無防備地域宣言」てなあに? というタイトルの講演会に参加させていただきました。
無防備地域宣言というのは、自治体として戦争協力を拒否するという宣言であります。戦争が起こった時には、敵国であってもその地域に対しては一切攻撃することができないのです。もしそれに違反すれば戦争犯罪で処罰されます。この宣言は国際ルールのひとつであり、ジュネーブ条約に条文としても記載されています。今回、この無防備地域宣言についての講演をしてくださったのは、小山広明さんという方で市議会議員としての経験もお持ちの市民派の活動家であります。

今回、自分は初めて無防備地域宣言について知りました。
この活動が全国の自治体で起こってくれば、もし日本で戦争が起こっても攻撃されない都市が全国に存在することになります。イラク戦争をきっかけに、日本の戦争へのスタンスがますます変わってきている現在、地方自治体としても地域住民の安全などについて考えなくてはなりません。そして、地方自治体として、この無防備地域宣言を国際社会に対して宣言するのも住民を守るためのひとつの選択肢ではないでしょうか。



 益田 「保育園からの便り」 2004年11月13日(土)

浸水被害を受けた保育園からお礼状が届きました。

台風16号が通り過ぎた後のあの日、私は助っ人の仕事(掲示板の修理)に出かけたのですが、そこで初めて浸水被害の悲惨な状況を知りました。娘がお世話になっていた保育園も大変な被害を受けたと聞いて、何かお手伝いできることはないかと考えていた時「若い力」のインターンがいたことを思い出してすぐに「つむジム」に「長靴用意して来て」と連絡。家内に食事の用意を頼んでから保育園に直行。そこは一面泥だらけで、浸水被害というのは、ヘドロの被害なんだと知りました。
その被害の大きさから言えば、ほんの少ししかお手伝い出来ませんでしたが、職員さんや多くのボランティアの方々の手によって見事に復旧されました。

きれいになった保育園の写真入りの便りを拝見して、本当によかったと思います。保育園の復旧を心よりお祝いいたします。
今後も町の子どもたちとお母さんのために、末永く運営して行っていただきたいと思います。



 佐竹 「4日間の死闘?」 2004年11月11日(木)

○ 我が津村啓介は衆議院財務金融委員会所属です。10月29日(金)一般質疑をしました。一般質疑というのは、委員会所管事項の中から任意のテーマを選ぶことが出来るので、議員の識見の深さや意欲の強さが表れるとされます。津村議員は、金融ビッグバン(日本金融改革・再編成)、ペイオフ解禁(1000万円以上は保護されなくなる)、シティバンク・UFJ・金融庁行政処分について、などです。委員会質疑にはこの一般質疑と法案審議があり、ほぼ各週一。財務金融委員会は総勢40名、民主党15名ですから、普通なら2週に一回が平均です。(この他、安保、災害特にも所属しているのですが)

○ 11月5日に“来週は11日に災害特と安保で二つ質疑(!)”となり、“う〜ん”。ところが8日に至り“12日に信託業法の法案質疑かも”(?!)、実は質疑週三はキツイのです。質問だけ見ていると「週三」は「三日間の仕事」かもしれないけれど、そうではないのです。一つの質疑には、テーマ決定・資料収集・資料読み・質疑項目確定・質問文言確定・調査室聴取・政府官庁質問確認など他の日程との調整も考えると、一週間がちょうどよい準備期間です。これらを11月8〜10日に各種日程に割り込ませました。

○ ところが、9日に“明日10日、財務金融委員会で信託業法質疑を”(!!)と。とすれば、9日、10日は財務金融で全部ツブレル、いつ11日の二つの質疑の準備をする(??)。
ここからは“死闘”です。8〜10日四日間の死闘のはじまり、今日11日まで津村啓介議員は文字通り「寝食を忘れ」ました。これは何の資料?前回の議事録は?最近の新聞記事は?今度来るのは調査室それとも官庁?何庁だって?何時何分に来る?最新の資料はまだ?おまけに、「こんな質問をしてくれませんか」という官庁からの「ご親切」まで。

○ しかし、「不寝食」の努力は報われました。午前の災害対策特別委員会質疑で津村委員は「23号台風の激甚指定」答弁を引き出した!!また、昨日の財務質疑も見事だったし、あとは最後の安保質疑に今ご出発。中継テレビを漸く見られる(録画を忘れるな!)。安全保障論と自衛隊災害出動が中心、このごろの得意科目だ、心配ない!河田さん、榊原さんもお疲れ様、四日間すごかったよ。

○ この他、津村議員は党役委員室の仕事が一杯。最大限の頑張りです。しかし、ここでフト11月9日のたじま要議員一周年記念パーティーでの前原先生の御挨拶がよみがえる。“二回目の選挙が一番大変です。僕(=前原先生)も国会活動が楽しくて、二回目の選挙は負けました(選挙区で負けて比例復活した)。国会と地元の両立を決して忘れないように!”と。先輩議員のたじま先生への言葉は、全ての一期生議員への言葉と、受け留めます。津村議員、お疲れ様、前原先生、ありがとうございます。さあ、次の仕事へ。



 根木 「秘書1周年記念☆」 2004年11月9日(火)

2003年の今日、衆議院議員津村啓介が誕生し、同時に私たちの秘書生活も始まりました。
1年生議員1年生秘書たちでのスタートでした。この1年、色んな壁にぶつかりながらなんとか今日の日を迎えることができました。振り返ると、「よくあんなことできたなー」と、今ではあり得ない失敗もたくさんしました。当時、支持者の皆様からは「本当に大丈夫?」という心配もよくいただき、「大丈夫ですよぅ!」とお答えしていましたが、今は、なぜ周りの方々がそんなに心配してくださったのか少しは理解できます。

毎日、色んな出来事や事件(?)があって、その対応に追われる日々でしたが、そのたびにできることが増え、お話を聞かせてくださる支持者の方々も増えました。それでも、常に「これでいいかな?ちゃんとできたかな?」と試行錯誤しています。
津村を応援してくださる皆様が、私たち秘書のことも支えてくださって、今日の私たちがあるのだと思います。津村の活動を支えていけるよう、これからも頑張ってまいります。今までと同様に、私たち秘書へのご指導もよろしくお願いいたします(*^^*)


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