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| (9) マスコミを避ける”ダマ菅”大臣 <8/29UP!> |
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菅大臣時代の国家戦略室について、世間の評価はいささか厳しかったように思います。 新聞には、「看板倒れの国家戦略室」とか「政治主導不発」といった文字が躍り、鳩山総理も12月初めに行われた党の会合で「菅直人副総理をトップに作ったが、スタッフが極めて乏しく、国家戦略ということになっていない」と厳しい評価を下されました。 背景には、鳩山さんも指摘しているとおり、スタッフが少なかったこと、部屋が分散していたこと、政務三役の兼務が多すぎたことなどの物理的、制度的な制約がありました。しかし、もう1つの大きな理由は、菅大臣自身のスタンス、とりわけ消極的なマスコミ対応にあったように思えてなりません。 象徴的な発言がありました。10月末の参議院補欠選挙での応援演説で、菅さんは自ら、「 菅さんは、本心から若手のコーチを自任していたのだと思います。八ッ場ダムの中止で脚光を浴びていた前原さんや、地域主権推進の旗を積極的に振っていた原口さんを「さすが、よく頑張っている」と評価していました。自分は、いざと言うときに球拾いをして、政権の安定のために汗をかくつもりだったのかも知れません。あるいは、副総理の自分が目立ち過ぎてはいけないという鳩山さんへの遠慮があったのか・・・。 この頃、ある全国紙は「イラ菅からダマ菅へ」という記事を書いて、菅さんの音なしぶりを揶揄しました。報道に苛立った私が、菅大臣に「視察に出かけましょう。せっかく作った緊急雇用対策をアピールするチャンスです」と提案したときも、菅大臣は「政策判断に必要な視察ならいくらでも行く。でも、策定し終わった対策を売り込むためのパフォーマンスなら、必要ない」と一刀両断でした。その後の菅さんの活躍ぶりをみると、この判断は正しかったか、あるいは少なくとも「あり」だったのかも知れません。 残念だったのは、あまりの“ダマ菅”ぶりに業を煮やしたマスコミが、菅さんの番記者を次々に減らしていったことです。当初、新聞やテレビは、各社のエース級記者を、国家戦略室の担当として送り込んでいました。そのエースたちが去っていったのです。 このことは、国家戦略室の情報発信力に、微妙な影を落とすことになりました。 |
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