2005/06/17  国会議員になるまで (13) 号外目次 / 津村啓介ホーム

津村啓介「国会議員になるまで」インタビュー シリーズ

(1)日本銀行 (2)英国留学 (3)江田五月さんとの出会い (4)家族の反対
(5)イギリスの公募制度 (6)岡山と私 (7)候補者時代 (8)新しいタイプの政治家をめざして
(9)ポスター貼り (10)周囲の支え (11)労働組合との関わり (12)代議士になって感じること
(13)候補者のフトコロ事情 (14)政治家の役割 (15)後輩へのメッセージ ラスト!

(13) 候補者のフトコロ事情

剪テ村代議士は比例中国ブロックの選出ですが、次は必ず小選挙区で当選したいとおっしゃっていますね。そうすると地元に密着しなければいけない。ご自分なりのスタイルというのは出来つつありますか?


オーソドックスですが、地域ごとに支持者の方々の核になるグループを作ろうと思っていまして、小さな集会を沢山開くようにしています。もちろん、先ほどご紹介した「ポスター貼り」も引続きやっています。私はまだまだ挑戦者ですからね。

幸い、現職になって、秘書は候補者時代より増やせるようになりました。今は常勤だけでも東京に3人と岡山に6人いまして、活動量の増えた分を組織作りにまわしています。


剔g織というのがよく分からないのですが、選挙の後援会組織っていうのはどういうものですか?


サークル、みたいなものですね。
(刄Tークル、みたいなもの?)
少なくとも民主党の場合は、お金や利害関係ではなく、気持ちで集まっています。だから強制力は働きません。それから幽霊部員も沢山います(笑)。


凾ニころで、党は金銭面でもサポートしてくれるのですか?


私が公募第一号になった頃から、民主党からの活動費が月50万円出るようになりました。今は100万円ですけどね。その50万円があったからこそ、自己資金1000万円で選挙に出られたんだと思います。全部自己資金となったら、公募で人は集まらないと思います。
この50万円の給付を可能にしたのが、94年の政党交付金制度です。こういった制度的な裏づけがあったからこそ、公募という制度が出来たのでしょう。公募というのも、パッといきなり現れたものじゃないんですね、きっと。


凾竄ヘり50万円というのは大きかったですか?


自分の生活費に関しては、貯金の1000万円からやっていました。けども、秘書も雇っていますし、事務所も借りなければなりませんから、お金はやっぱり必要です。月50万円は本当に大きかったです。基本的なことはこのお金で全てやりました。
心理的な余裕を持つためにも、お金のことってありますからね。貯金があったことは精神的な支えにはなりました。最終的に、1年半後に衆議院選挙が終わってからも、貯金は700万円残っていましたよ。つまり1年半で自己資金は300万円しか使わなかったということです。選挙関係での持ち出しも生活費も全部込みで。


凾ソゃんとやれば、残るものなんですね。私は、選挙って何だかんだ人に会ったり、会合したりとかでお金が飛んでいくものだと思っていたので1000万円なんてあっという間になくなってしまうと思っていました。


そうですね。そういうのは人によるんだと思います。けれど、今は環境に恵まれるようになってきていて、次の選挙の候補者は党から毎月100万円出ますし、そのうち30万円は個人の生活費として使っていいことになっています。だから今なら自己資金ゼロの人でも国政選挙に立候補出来るんじゃないかと思います。
 

― 本稿は、雑誌インタビューを津村事務所の責任で加筆編集したものです。 ―


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