| 2005/06/14 国会議員になるまで (10) | 号外目次 / 津村啓介ホーム |
| (1)日本銀行 (2)英国留学 (3)江田五月さんとの出会い (4)家族の反対 (5)イギリスの公募制度 (6)岡山と私 (7)候補者時代 (8)新しいタイプの政治家をめざして (9)ポスター貼り (10)周囲の支え (11)労働組合との関わり (12)代議士になって感じること (13)候補者のフトコロ事情 (14)政治家の役割 (15)後輩へのメッセージ ラスト! |
(10) 周囲の支え
刪齒盾ノ働いているスタッフは、どうやって集めたんですか?
スタッフは人の紹介が多いです。あと、私自身の昔からの友だちもいました。岡山とは関係のない友だちが、たくさん岡山に応援に来てくれました。特に留学時代の友だちにはかなり助けてもらいました。
「ポスター貼り」は初対面の方にポスターの掲示をお願いする作業ですから、とても難しい仕事です。地域差もありますが、お願いの熱心さ、相手に与える好感度が結果を大きく左右します。私を応援してくれる気持ちの“大きさ”が、不思議と相手にも伝わるんです。
友だちは、本当に多くのポスターを貼ってくれました。ある新年会で友だちが、「皆さんの力で、津村啓介を国会議員にしてやってください!お願いします!!!」と大きな声で頭を下げてくれた場面を、今も時々思い出します。真っ赤な顔をして、恥ずかしさをこらえて。あの時の感動はいつまでも忘れられません。友だちの助けがなければ、今の私はないし、これからの私もありません。私の政治活動の原点です。
凵u落下傘」だと、地元の方とうまくいかないということはなかったですか?
そういうこともあったかも知れません。たとえば統一地方選の際に、何人かの方々を応援させて頂いたのですが、正直お手伝いの仕方がよくわからなくて、お互いに遠慮するような状況になって、100点の応援ができない場面がありました。誰も悪くないのに、うまくコミュニケーションが取れずに、みんながストレスを感じるような場面です。それはいい勉強になりました。
選挙っていうのは、対話の積み重ねだなと思いました。人と人のネットワークが基本だなと思いました。人の気持ちというのは難しいですね。義理とか人情のかけがえのなさを、すごく感じました。
凾サこは一番難しいところですよね。中央で活躍されていた津村さんが、公募の落下傘で地方の既存の社会に入っていくわけですし、それもしがらみいっぱいの政治の世界に入っていくわけですから。地元からの反発はありませんでしたか?
反発がなかったとは思いませんが、予想以上に温かく受け入れていただきました。「思い切った決断をしたね。頑張れよ」という感じで迎えていただいて、その皆さんの気持ちが私の様々な欠点をカバーしてくれたと思います。日銀から来たということに関しても反発というのはあまりなかったですね。
むしろ衆議院議員に当選してからのほうが、「あいつはやっぱり官僚出身だから、理屈っぽい」とか「若いくせに生意気だ」とか「もっと社会経験を積め」ということを言われます。同情票が集まらなくなってきたのかな・・・(笑)。ただ、どんな立場になっても、「小さくまとまった」とだけは言われたくないと思っています。
剔I挙のとき、日銀が助けてくれるということはなかったですか?
日銀が組織として助けてくれたということは全然ないですね。ただ、個人的に助けてくださった方は少なからずいらっしゃいました。岡山まで励ましに来てくれた同期や先輩後輩もいたし、カンパをしてくれた方々もいます。その方々のことは、一生忘れないと思いますよ。本当に嬉しかったですから。“恩”という一言ではうまく表せません。
― 本稿は、雑誌インタビューを津村事務所の責任で加筆編集したものです。 ―
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