2005/06/11  国会議員になるまで (7) 号外目次 / 津村啓介ホーム

津村啓介「国会議員になるまで」インタビュー シリーズ

(1)日本銀行 (2)英国留学 (3)江田五月さんとの出会い (4)家族の反対
(5)イギリスの公募制度 (6)岡山と私 (7)候補者時代 (8)新しいタイプの政治家をめざして
(9)ポスター貼り (10)周囲の支え (11)労働組合との関わり (12)代議士になって感じること
(13)候補者のフトコロ事情 (14)政治家の役割 (15)後輩へのメッセージ ラスト!

(7) 候補者時代

凾ナは、候補者時代のお話を伺いたいと思います。民主党から公認内定者に選ばれてから、実際選挙に立候補するまで、結構時間がありますよね。1年と4ヶ月くらいですか?この間、何をされていましたか?


今でもよく覚えていますが、3月24日に民主党の候補者公募の新聞広告が出て、4月、5月に選考がありました。そして6月の初めには概ね選挙区が決まったので、6月17日に上司に話しました。

上司はびっくりしていましたが、その瞬間にさらにその上の上司から「政界に打って出るということを聞いてしまったからには、コンプライアンス上、会社に長くいてもらうわけにはいかない」となって翌日から自宅待機を命じられ、6月末に退職しました。その後10日間くらいかけて独身寮の片付けや引越しの準備をして、7月10日、台風の日に岡山に移りました。その日は台風で飛行機が岡山に飛ばず、広島空港経由で岡山に入りました。なんだか自分には劇的なことのように思えて、よく覚えています。

正式な公認決定は、7月30日でした。公認になったら、選挙活動は始まっているようなものです。8月1日には事務所をオープンし、それから毎日街頭演説、ビラ配りをしました。選挙は翌年2003年の10月でしたが、自分にとっては2002年8月1日がスタートラインでした。


凾クいぶん展開が早いですね。ところで、街頭演説っていうのは誰でもすぐにできるものなんですか?


最初はやっぱり、すごく恥ずかしいですよ。ただ、物理的には簡単にできます。ハンドマイクを持って、駅前で喋ればいいだけですから。けれども、最初の1週間くらいはすごく恥ずかしくて、マイクを一瞬持ったと思ったら、すぐに電池を入れ替えてみたりとか(笑)、始めたと思ったらやっぱり少し場所を変えようとか、色々自分に言い訳しながら、喋り始めるまでの時間稼ぎをしたりということもありました。何の意味もないんですけど、駅前でマイク持って喋るのって、やっぱりそれなりに度胸がいるんです。

街頭演説は警察に包括的な許可を取ればできます。ただ、場所選びはわりとゲリラ的だったりもします。警察で許可を取っても、近所の方に「朝からうるさい」と言われると、やはりやめます。


凾ネるほど。でもそうすると、街頭演説をやれる場所は限られてきますよね。


そうですね。私の場合は駅前か橋の上ですね。周りに住宅があまりないですから、朝でもマイクを使えます。話の中身ももちろんですが、私は毎日続けることに大きな意味があると思っているので、雨の日でもやりますよ。雪の日もやりました。すごい反応がありましたよ。街頭演説には一種パフォーマンス的な側面もありますから、やはり見た目も大切です。表情とか視線とか、目に力が入っているかとか。「あなたは目に力があるね」と言われたことがあって、とても嬉しかったです。逆に話の論理展開とかは、実はあまり聴いてもらえなかったりもするんですよね。朝は皆さん忙しいですから。一人ひとりの方が通りがかる一瞬に、どれだけのものを伝えられるか。これは本当に難しい、プロの仕事です。私なんて、まだまだです。


剔蛯ォい声で毎日やるのが大事なんですね。


その通りです。頑張って、毎日やるということが大事です。もちろん場所は毎日移動しますが、「あの人は毎日どこかで頑張ってる」っていうことは不思議と伝わるものなんです。


剳キいてくれなくて嫌になったりしませんか?


もちろん、露骨に嫌がられたりすると、すごくブルーにはなります。でも、反応の悪い人に訴えかけて、少しでも理解してもらうのが仕事だと思っていますから、逆に燃えたりもします。

これは大事なことなんですが、反応が良いところばかり廻っていても、支持者は増えません。私は挑戦者です。チャレンジャーなんですから、敵地に乗り込んでいく覚悟が必要なんです。だから最初からテンションは高かったですよ。「よしやるぞ、俺は全てを捨てて、ここに乗り込んできたんだ」って思ってますから。


凾ナも、自分みたいなエリートが、ここでこんなこと喋って、何の意味があるのだろう・・・と思ったことはありませんでしたか?


それは思わないですね。不思議かも知れませんが、全然思わなかったですよ。

よく日銀のときはすごく恵まれた環境だったんだろう、と言われます。それはそのとおりですが、僕は日銀時代のことを決して悪くは思っていませんが、でも、ある種の閉塞感があったんです。刺激というか、“若さ”を賭けるに値する何か、自分がリスクを負って目標に向かって何かをやるってことにものすごく飢えていたんです。

あと、日銀に限らず、私は日本の右肩上がりの時代の負の遺産だと思っているのですが、年功序列とか減点主義というものは日本の企業社会には根強いですよね。官僚社会もそうです。そうしたものから抜け出た解放感というか、清々しい充実を感じていましたから気持ち良かったです、本当に。新鮮な空気を吸っている感じで。
 

― 本稿は、雑誌インタビューを津村事務所の責任で加筆編集したものです。 ―


2005/06/11  国会議員になるまで (7) 候補者時代 号外目次 / 津村啓介ホーム