2005/06/08  国会議員になるまで (4) 号外目次 / 津村啓介ホーム

津村啓介「国会議員になるまで」インタビュー シリーズ

(1)日本銀行 (2)英国留学 (3)江田五月さんとの出会い (4)家族の反対
(5)イギリスの公募制度 (6)岡山と私 (7)候補者時代 (8)新しいタイプの政治家をめざして
(9)ポスター貼り (10)周囲の支え (11)労働組合との関わり (12)代議士になって感じること
(13)候補者のフトコロ事情 (14)政治家の役割 (15)後輩へのメッセージ ラスト!

(4) 家族の反対

剋りの人、特にご家族はどういった反応をされましたか?


両親は猛反対しました。母なんて「啓介が公募に落ちて、政治家の道を諦めますように」とお百度詣りをしたりとか・・・。お百度詣りですよ。びっくりですよね。
そして、ある日、お百度詣りの帰り道に母が交通事故に遭ったんです。幸いケガは軽かったんですが・・・。こたえましたね。本当に申し訳ないと思いました。その時は私自身の気持ちも、さすがに立ち止まりましたね。


凾スしかに普通のお母さんは、息子さんが東大を出てオックスフォードに留学までして日銀に入った。それなのに、政治家なんてヤクザな仕事は・・・と思うでしょうね。どうやって説得したんですか?


結局、説得はできなかったのかも知れません。それこそ突然の「路線変更」ですし、本人さえ不安なのですから、親の不安は計りしれません。

ただ、たったひとつの救いは妹でした。両親の理解を得られない中で、妹が「お兄ちゃんの人生なんだから、お兄ちゃんの好きなようにさせてあげなさいよ」というようなことを言ってくれて・・・。本当に嬉しかったです。この妹の言葉の力は大きかったですね。妹の存在がなければ、この決断は出来なかったと思います。感謝してます。

今でも、母の方は愚痴を言うこともあります。ここまで苦労して息子を育てて、これからはようやく息子に面倒を見てもらって、孫の顔を見たりできるかなと思っていたのが、今度は「候補者の母」として知らない方に頭を下げて回らなきゃいけないんですから当然です。また、生活のことも、私がいつまでも当選できなかったら、場合によっちゃあ面倒を見なくちゃいけないんじゃないかということも考えたのでしょう。不安だったと思います。


凾ィ父さんのほうは、どうでしたか。


やはり大反対でした。父の方は、少し理屈っぽい理由でしたね。政治家という職業に対して猛烈な嫌悪感があったようです。父は、息子が言うのもなんですが、ごく普通の善良なサラリーマンでしたから、父の人生から見ると政治家なんていうのは、どうせ暴利をむさぼっている、感心の出来ない、訳の分からない存在に決まってるというのがあったんでしょうね。


剞燗セするのは大変なことだったんですね。


やはり言葉だけで説得できるものではなかったですね。その後の私の行動や努力をみて、次第に理解をしてもらえるようになりました。今は精神的にも、その他いろんな面で、家族に支えられています。今更ながら、家族というものの意味や重みについて認識を深めました。この歳になって社会勉強です。


剞e戚やお友達のみなさんはどういう反応でしたか?


親戚にはほとんど事後報告でしたが、とても驚かれましたね。概ね家族と同じ反応でしたが、伯父や従兄弟たちは「啓介君がやってみたいなら、親戚に迷惑がかかるとか変な遠慮はしなくていい。やりたいようにやりなさい。どうやって応援すればいいか分からないけど、できることはやるから、何でも遠慮なく言いなさい」と温かい言葉をかけてくれました。

同僚や同世代の友人は、やはりとても驚いていましたが、羨ましがられるという面もありました。ここは私たちの世代の特徴かも知れません。転職も離婚も当たり前とさえ言われる、若い自由な世代ですから。目に見える自分の目標を持ち、その目標に向かって100%努力できるということ自体が、なかなか出来ることではありません。そのことを羨ましがられていたんだと思います。政治家を目指すという決断は、周囲の環境に恵まれないとできないことですから。

決断ができたのは、私の意志の強さももちろんですが、最初は猛反対をした周囲が最後には認めてくれたことが、やはり一番大きかったと思います。あと、私は独身なので、その身軽さというのもあったと思います。そういう意味で、環境に恵まれていたんです。


刄`ャレンジできる環境にあったというのは、幸運なことでしたね。


そう思います。当時貯金が600万円あったのですが、最後のボーナスとか退職金とかもろもろ入れて、日銀退職時の手持ちのお金はジャスト1000万円でした。そこから、一月10万円で暮らせば8年は生きていけるとか、その間に選挙は3回くらいあるだろうとかそういったことを自分なりにシミュレーションしました。何が何でも、最後までやりぬく決意が出来ました。
 

― 本稿は、雑誌インタビューを津村事務所の責任で加筆編集したものです。 ―


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