2005/06/05  国会議員になるまで (1) 号外目次 / 津村啓介ホーム

津村啓介「国会議員になるまで」インタビュー シリーズ

(1)日本銀行 (2)英国留学 (3)江田五月さんとの出会い (4)家族の反対
(5)イギリスの公募制度 (6)岡山と私 (7)候補者時代 (8)新しいタイプの政治家をめざして
(9)ポスター貼り (10)周囲の支え (11)労働組合との関わり (12)代議士になって感じること
(13)候補者のフトコロ事情 (14)政治家の役割 (15)後輩へのメッセージ ラスト!

(1) 日本銀行

剴銀時代のお話から伺いたいと思います。10年後に政治家になる津村代議士がどうして日銀に就職されたのか、その辺から聞かせて下さい。


私は、父が生命保険会社勤務、母が専業主婦というごく普通のサラリーマン家庭に育ちました。学校の先生だった祖父から日本の歴史を教わったせいか、小さい頃から社会や政治に興味があり、将来は国に関わる仕事がしたいと思っていました。高校生の頃、伯父の影響で一時物理学者を目指したこともあったのですが、社会への興味のほうが強かったのでしょうね、大学は法学部の政治コースに進みました。ただ、政治に関心のある多くの学生がそうであるように、実際に政治家になるという道は、普通の家庭に生まれたものには閉ざされていると考えていました。政治はコネクションの世界だという印象を持っていたので、親戚関係のコネがないと政治家にはなれないと思っていました。

政治家以外で国に関わる仕事ということで、官僚をめざしました。就職活動の時に廻ったのは、大蔵省、通産省、経済企画庁、そして日銀です。当時の私は、日銀は経済官庁のようなものだと考えていました。最初に内定を頂いたのが日銀です。これは政治の話とも絡むのですが、日本は経済力によって国際的な地位を築いている。つまり日本が国際社会で発言力を持つのは経済力があるからだと思っていましたし、これからもそうだと考えていました。だから、国益に関わる大きな仕事ができるのは経済官庁だろうと思っていたんです。

でも、日銀で働いていた94年(平成6年)からの8年間は、日本の政治や経済のすべてが大きく変わる時期でした。就職の時点で既にバブルは崩壊していましたが、当時はまさか銀行がつぶれるような深刻な状況が訪れるとは思っていませんでした。マクロ経済政策の面での失敗、不祥事も含めたミクロ的な失敗など行き詰まりが露呈したときでもあり、その一方で「日本版金融ビッグバン」の影響で外資系の企業がどんどん増えていく時期でもありました。

その頃でしょうか、日銀の同僚が外資系金融機関に大挙して転職するという時期がありました。一種の頭脳流出ですよね。そんな流れの中で、転職に対する心理的ハードルがだいぶ下がっていきましたね。
 

― 本稿は、雑誌インタビューを津村事務所の責任で加筆編集したものです。 ―


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