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民主党・津村啓介衆議院議員インタビュー
選挙ほど大変で、おもしろいものはない!
民主党の公募広告をきっかけに、それまで勤めていた会社を辞めて選挙運動を開始、
2003年、若干32歳という若さで衆議院議員になった津村啓介さんに聞きました。
「どんな選挙運動をしたら、国会議員になれますか?」
新聞で見た公募広告
――選挙に出るまでの準備期間は、どれくらいだったのですか?
「02年の6月末に会社を辞めまして、翌年10月の衆議院議員選挙までですから、1年と少々ですね」
――それまではどんなお仕事をされていたのですか?
「普通のサラリーマンとして、毎朝9時から終電近くまで働くような生活をしていました」
――政治の道を志されたきっかけは?
「日本のアイデンティティーは"経済"だと信じて銀行に進んだのですが、金融危機に直面して、日本の政治や経済システムに限界を感じてしまったんですね。それとサラリーマン社会の"年功序列、前例踏襲、減点主義"の風潮に嫌気がさしていた、という部分もありました。そんなときに新聞で民主党の公募広告を見て、やってみようか、という気になったんです」
――民主党の公募システムについて、くわしく教えてください。
「まず02年3月に新聞広告が載りまして、そこには希望者は4月までに履歴書と論文を一本――論文といっても2千字程度のものだったんですけど――を提出するように、とありました。それで5月に中堅議員と事務局の方5人くらいとの第一次面接がありまして、最後に当時の鳩山代表や菅幹事長との最終面接があった、という感じです」
――面接ではなにを聞かれましたか?
「『なぜ民主党なの?』と聞かれましたね。あとは家族構成だとか、『落ちたらどうするの?』とか」
――それにはどう答えたのですか?
「3回までは挑戦します、と答えました。当時、貯金やら退職金やらをかき集めたら1千万円くらいありまして、だから生活費を月8万円程度に抑えれば、10年間はそれで食べていけるだろう、と。それでその10年間のうちにおそらく3回は選挙があるだろうから、そこまでは挑戦できるだろうと思ったんですね」
――度胸ありますよね(笑)
「今から思うと、そうですよね(笑)」
――選挙区はどうやって決めたのですか?
「衆議院の小選挙区は全国に300しかないんですよ。今はその300のうちの260くらいの選挙区で誰が立候補するかが決まっているんですけど、私が応募した頃はまだ180くらいしか決まっていなかった。その中でどこがいちばん自分にとってチャンスがありそうか、次の衆議院選挙がだめでも10年は続けるつもりでしたから、3回続けたらどうにかなりそうなところを一生懸命探したんですね。そのときに決め手になったのが、今はもう閉鎖されちゃったんですけど『選挙でGO!』というホームページだったんです」(注:閉鎖されていません)
――それはどういうサイトだったのですか?
「ある会社員の方が趣味でやられているページで、各選挙区についての分析や前回の結果が詳細に書かれていたんですね。そのページを見て、チャンスがありそうで、かつ空いているところで、さらに自分と関わりの深いところを探したら、それが岡山県だったんです」
――それからどうされたのですか?
「参議院で、同じ岡山を選挙区にされている江田五月さんに、思い切ってメールを書きました。私の祖父や母が江田さんのところの選挙区民だったので、人柄や評判は多少聞いていましたから」
――どういうメールを書かれたのですか?
「ちょうど次の日に東京で江田さんのパーティが開かれる予定があったので、"自分は現在、会社員で、将来は政治家を目指している者なのですが、自分もパーティに出席してもいいでしょうか"と、そんな内容でした。そしたらその夜、すぐに返事が来て、"ぜひ参加して下さい。会費は2万円です"ああ、取るものは取るんだ、と思ったんですけど(笑)、それで受付で自分の名前を告げたら、江田さんが出てきてくれて、『ああ、昨日のメールの君か。一回、岡山を見においでよ』と言ってくれたんです」(参考:江田五月さんへの手紙)
――気さくな方ですね!
「その言葉に甘えて、4月10週連続で週末、岡山へ通いました」
――ずいぶんお金もかかったでしょう。
「それが半分くらいは江田さんのご自宅に泊めていただいたりしたので、それほどはかからなかったですね。それで6月の初めに公募の合格が出て、6月末には会社を辞めて、7月10日に岡山へ引っ越しました」
――それから本格的に選挙運動を始められたわけですが、公示までの1年間はどのような活動をされたのですか?
「オーソドックスですが毎朝、街頭演説をしました。それから日中は、自分で車を運転しながら、有権者の方のお宅を一軒一軒回って挨拶して。しばらくしたらスタッフも揃ってきたので、今度は挨拶だけじゃなくて、ポスターを貼らしてもらおうということになって、最終的には3千枚貼らせてもらいました」
――岡山、というと保守的な地盤というイメージがありますけど、その中で新人の、しかも民主党候補のポスターを3千枚というのはすごいですね。
「ポスターって直接本人が頼みに行くと、かなりの確率で貼らせてくれるんですよ。とくに保守的といわれる農村部ほど、そうでしたね。おじいちゃん、おばあちゃんは若者に優しいんです(笑)」
――『若いのが一生懸命、汗かきながらやってるから』ってことなんでしょうね。
「そのかわり『剥がれても知らないよ』と言われましたけど(笑)。でもそうやって農村部にポスターがいっぱい貼られていくと、人の見る目が変わってくるんですね。『このへんは保守が強いはずなのに、いつの間に津村はあんなに支持者を作ったんだろう』って、市会議員や県会議員の人が一目置いてくれるようになったんですよ」
――それにしても、選挙運動って地道な作業の積み重ねなんですね。
「でも、それが選挙のよさでもあると思います。政治家は政策について官僚と渡り合わなければならないし、その一方で地域の現状というか国民の声にも耳を傾けていかなければならない、そのバランス感覚が重要だと思うんですね。幸い自分は銀行で働いていた経験もあるし、官僚がなにを言っているかはわかるんだけれども、地域からの声はわかっていなかった。その意味で選挙運動は、もうひとつの言葉を持つことができる、貴重な体験だったと思います」
――選挙の感想を教えてください。
「結果が出たから言えることかもしれませんけど、おもしろいですよ。自分なりの夢を持って挑戦して、その結果がはっきり出るのが選挙ですからね。自分の中では盛り上がりますよ。世間から見たらドン・キホーテみたいなところもありますが」
――最後に、これから選挙に出たいと考えている人に一言お願いします。
「おこがましいことかもしれませんが、これから自分みたいな人が増えていったらいいな、と思っています。公募から始めて、面識のない江田さんにメールを書いて、『選挙でGO!』というサイトを見て、私は政治家になりました。今はなくなってしまったサイト『選挙でGO!』が、ある意味、私の産みの親なんですよ。今、私のホームページのアクセスがだんだん増えてきて、それは私にとってはすごくうれしいことなんですけど、そのうちの一人でも二人でも『政治家になりたいんですけど、津村さん、お話を聞かせてください』という人がもし現れて、本当に政治家になってくれたら、こんなにうれしいことはないですね」(参考:江田五月HP・選挙でGO!HP)
津村啓介氏プロフィール
1971年生 岡山県津山市出身
2002年、勤務先である日本銀行を退職、民主党公募合格者として祖父の故郷、岡山で選挙活動を始め、翌年の衆議院議員選挙(中国比例ブロック)で見事当選を果たす。
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