| 2004/1/17 秘書研修 小笠原照也さん講演要旨 | 号外目次 / 津村啓介ホーム |
― 小笠原 照也さん講演要旨('04年1月17日) ―
今回、この秘書研修を対話形式で行ったほうが理解できるとのご配慮から、レジュメを用意して下さいました。ご参考までにご紹介致します。
講演レジュメ
民主党マニフェスト 1. 「脱集権・脱官僚」がかかげられています。
あなたは、賛成ですか。
2. 「最小不幸社会」という目標がかかげられています。
この考え方は、下記のうち、どの考え方に近いと思いますか。
A.リバタリアニズム
(これは、80年代から盛んになった考え方。自由至上主義ニュアンス)
B.リベラリズム
C.社会民主主義の流れにある
3. 日本外交の基軸としてあなたはどちらの考え方に近いですか。
A.自主独立の流れ
B.日米同盟主義の流れ
C.国連中心主義の流れ
アジア諸国の関係について どちらかといえば、あえて選ぶとしたら、
1.アジア経済圏での、リーダシップをもっと発揮し、経済優先でいくべきである。
2.アジア圏域全体での、アジア集団安全保障基本協定の締結にリーダーシップを発揮し、アジアでのヤルタ体制の終えんを目指すべきである。
3.アジア各国との間で、個別に平和友好条約の締結を完成し、日本の過去の戦争責任を果すべきだと思う。
総選挙をふりかえって あえて、ひとつ選ぶとしたら、
1.津村個人の資質・条件が優れていたから。
2.津村個人の条件と第2区の条件が重なったから。
3.津村個人の条件と若い力を前面に出したから。
4.自民党の足腰が弱くなり、民主党への支持が増したから。
5.津村個人条件と民主党マニフェストとが一致し、優れた条件が重なったから。
活動のあり方について あえて、ひとつ選ぶとしたら、
1.議員後援会活動を中軸にする。
後援会会員の中から党員になってもらい、党県連代議員、党執行部を選出する。
2.党総支部活動を中軸にする。
党支部関係の過去、現在、未来を結ぶ人材を維持し、発展させる。(秘書全員が党務全てを担う。)
3.議員後援会と同総支部とは、一線を画し、並立させる。
・ 党支部関係には、過去、未来を含めた人材に入ってもらい、津村議員の活動と一体となった運動組織として確立。
・ 議員後援会の活動については、秘書専属体制。
4.その他の方法を考えて、実行する。
秘書と代議士 例えば、サッカーという競技で言えば、
1.代議士も秘書も、グランドで競うプレイヤー。
2.代議士はプレイングマネジャーであり、センターやフォワード。秘書全員で一致前進。
3.全員がサッカーを理解していなければならない。(マニュフェスト、政策、組織運営)
4.監督、コーチは、観客席にしかいない。(評価は外部から届く)
講義内容
- 民主党マニフェスト
民主党マニフェストには、「脱集権・脱官僚」、「最小不幸社会」がかかげられている。最小不幸主義というのは、政治は人々の価値観に介入するのではなく、人々を不幸にする原因を取り除くこと。政治は、不幸を最小化する政策に優先順位をつけて、実現していくこと。マニフェストの思想的バックボーンがリバタリアニズムか、リベラリズムか、社会民主主義か、大いに議論を深めていく必要があると思う。
- 民主党は国連中心主義であるが、日本外交の基軸としてあなたは、自主独立の流れ、日米同盟主義の流れ、国連中心主義の流れのどの考え方に近いですか。
(秘書A)あえて順位をつければ、国連中心主義、日米同盟主義、自主独立主義の流れの順。
- アジア諸国の関係についてあえて選ぶとしたら
(秘書B)3番です。1.2番では受ける側からすると、日本が経済力をよりどころとして、リーダーシップを発揮しようとしているのか、何を主体としてもってきているのかが分からない。
理想的なのは、日本の過去の戦争責任を果していきながら、アジア集団保障基本協定の締結にリーダーシップを発揮し、アジアでのヤルタ体制の終えんを目指すことである。(戦勝国の間でヤルタ体制というのが作られていて、日本は国際連合の中の常任理事国になれていない。)
- ヤルタ体制
戦後日本は、ヤルタ体制を固定化する政治を続けてきた。戦後日本の政治のなかで、1960年〜1970年代には、反ヤルタ体制の流れが少しずつ出てきた。帝国主義的な侵略主義と全体主義的な共産主義の両方に反対。このヤルタ体制をどうにかしないと日本はよくならないのではないか、日本の国会がヤルタ体制だった。
ヨーロッパでは、ベルリンの壁崩壊以降、旧来のヤルタ体制は消失しつつある。アジアでのヤルタ体制の終えんのために、日本でも若い世代の力で是非とも、新しい世界をつくっていただきたい。
- 本の紹介
ジョージ・ケナン「二十世紀を生きて」
アメリカ人。ソ連の大使館詰めの人であった。ソ連は必ず崩壊するだろうと予測し、対ソ連政策についてアメリカで議論を起こした人。
- 国際連合
国際連合を作ったが、理想と現実の狭間でソ連とどう対応していくかが、アメリカの悩みだった。国際連合は、ヤルタ体制を基本としている。アジアで、EUのように共同体としてまとまってやるか、それぞれ個別にするか、というのは民主党の重要な外交課題となるだろう。
- 総選挙をふりかえって
津村啓介が、衆議院議員となることができた理由はいくつもあるが、その中の理由の一つである「自民党の足腰が弱くなり、民主党への支持が増した」という要素は、今後の日常活動の大きな壁となるだろう。今、県連を強化していこう、他の候補者の援助を色々していこうと運動をしていることは大変によいことだ。さらに、マニフェストも勉強していく必要がある。
- これからの津村啓介の活動のあり方について、あえてひとつ選ぶとしたら。
(秘書C)党支部活動は、今まで築きあげたものがあるが、津村啓介後援会というものは最近できた。党活動には、何かであとに残っているものがあるが、後援会活動には、まだそういうものがない。色んな人が後援会にまず入りながら、その人たちが、色んな中で、津村がいなくなっても、築き上げた財産を誰かが引き継いでいくようにしていくのが適当な方法だと思う。
衆議院議員の候補は、民主党本部の公認で決定される。地方の小選挙区での党総支部は、候補者が変わるたびに新しい組織を再編成することにならざるを得ない。地方の民主党の強化という面では、この点からの再検討も必要だと思う。
民主党の強力な支援者の輪を恒常的にどう組織していくか、又、候補者のいない地方での日常活動をボランティアで続けていけるかどうか、などなど難しい課題を本部と一体で解決していく必要があると思う。
例えば、個人後援会の側面から言えば、小さな後援会をたくさん作り(例:囲碁の会、女性の会)、全ての団体にトップをおくことによって、色々な活動を、たくさんの人に等しく伝達できるようにする。そういうことが出来るところからするべきだ。例えば、女性の会の会員にも、他の講演会活動の情報も送る。その組織の中で、不満が出ることは良いこと。「私のところにお声がかかっていない」という不満は、それだけ興味があり、熱心であるということの表れ。
又、党の地域支部をつくる。例えば、玉野の中だけの活動ではなくて、全体への伝達組織をつくり、メッセージを発信していく。そうすることによって、他の地域の人々も刺激を受ける。自由に組織を決め、連絡役を決め、伝達網をつくる。
政権を担っていくために、いろんな人の参加が必要。神様みたいな人がいて、党を組織しているというのは良くない。
入りにくい団体はだめである。新しく面白く、市民が主役となっている民主党に多くの市民が参加している。
しがらみに悩んでいてはだめである。出来るところからやっていくと、良い結果が必ず出てくる。
また、津村さんが何万という人の名前と顔が一致するようになれば、勝ちである。秘書も同様である。
- おわりに
政治活動というのは、思いを込めて、思いっきりすればよい。人はみんな意見を持っている。対話を重ねて、その中で力をつけていけば良い。
地元の産業振興の方向を提案し、地元の人々と対話を重ね、それをしっかりと反映させていく必要がある。広く深くいろんな人たちを知り、根をはった地元活動を秘書と共に行っていくのがベストであろう。
小笠原照也さんプロフィール
- 愛知県名古屋市千種区生まれ。(昭和21年)
- 岡山大学理学部
学生自治会委員長、自治会連合会、生物学、瀬戸内海汚染総合調査団に参加。(岩波新書)- 民主党
平成 8年(1996年総選挙) 中桐氏初当選 第一秘書
平成10年(1998年) 民主党岡山県連発足 副幹事長
平成12年(2000年総選挙) 中桐氏小選挙区惜敗 (2003年)比例復活- 平成16年(2004年)以降は、NPO法人、エコ・ギア、代表理事(理事等は、地元の大学教授、弁護士等)、生態系保全、災害予防の活動を行う予定。
- 民主党関係
・ 県連直轄党員として、活動を続ける。
・ 地域支部の組織化。(小学校区毎の支部)(サークル、同窓会支部も指向)
・ マニフェスト勉強会を重視(対自民党)
16.2.20 堀野
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