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Daily TSUMURA ひとこと 2004年 11月1日〜30日



 橋本元総理の弁明 〜 衆議院「政治倫理審査会」に出席して 2004-11-30 (Tue)

本日午後1時20分から、衆議院の議長応接室において、衆議院政治倫理審査会が開かれ、いわゆる日歯問題に関する橋本龍太郎元総理大臣の弁明と与野党議員による質問が行われた。

津村は、橋本元総理と同じ岡山県選出の唯一の民主党衆議院議員であるとの理由で、民主党の三席(幹事)である樽床代議士の代役として出席。約90分にわたる審査に立ち会った。

元総理は、同郷の先輩であるだけでなく母校麻布高校の先輩でもあり、このところ毎月のように各種会合でご一緒してきたが、今日の表情はとても厳しく、普段のような自信に満ちたオーラは感じられなかった。

弁明の内容や質疑の中身については別途詳細な記録を取り、国対にご報告したので、HPでの公開は控えたいが、「自分の記憶ではなく、周囲の記憶と記録に依拠する形で、資金の授受を認めたこと」と「発覚直後に連絡を取り合った関係者の名前を列挙したこと」以外はあまり新味のないものであった。

直後にマスコミの方々から個人的な感想を聞かれたので、次のようなことを述べた。

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【後輩として寂しい思い】
同郷、母校の先輩として尊敬する方だが、体調不良を理由に自分の記憶や判断をなかったことにし、全ての責めを周囲に帰する姿には、金融ビッグバンや省庁再編などに指導力を発揮された往時の面影は感じられず、後輩として寂しい思い。

【自分の言葉で話していない】
今日の元総理は声も小さく、弁護士に付き添われ、原稿に目を落としながらお話される様子からは、自分の言葉で話されているという印象は受けられなかった。普段のような自信に満ちたオーラは感じられなかった。

【一つの時代の終わり】
料亭という「密室」での出来事を、非公開の「密室」で弁明する姿勢は、橋本派の政治スタイルの象徴的な表れであり、説明責任の果たし方として国民感情から 懸け離れていることは明らか。古い政治の行き詰まりと一つの時代の終わりを感じた。国民の求める説明責任を果たせない以上、別の形で責任を取るしか方法はない。その意味で、次期衆院選小選挙区不出馬という責任の取り方は、国民にいささか分かりにくいのではないか。

【与党の足並みの乱れ】
与党である公明党が公開を求めていたにもかかわらず、自民党サイドがこれを拒否したのも印象的な出来事だった。与党の足並みが揃っていない。

【国民の厳しい審判】
民主党の一員として、今後とも証人喚問と会期延長を求めていく。与党は今回の審査をもって幕引きを図るだろうが、そのツケは大きい。次回総選挙では、国民の手によって厳しい審判が下されるはずだ。

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「政治とカネ」の問題は、これから数年のうちに必ず実現する政権交代によって、大きく前進することは間違いない。スキャンダル追及は決して楽しい仕事ではないが、有権者、国民の期待を裏切らない政治のために、これからも目を離さず取り組んでいく。



 Oxford MBA 〜 後輩からの手紙 2004-11-26 (Fri)

先日、オックスフォード大学MBAコースの後輩W女史からメールが届き、「授業でケイスケさんのことが紹介されました。OxfordのMBAには政治に興味を持った学生がたくさんいます。後輩として、あなたをとても誇りに思います。」と書かれてあった。

英語が苦手といわれる日本人留学生の中でも、特に英語が苦手で、4年前のこの時期はイギリスの片田舎で寒さに震えながら、「追試(resit)」のことばかり気にしていた。単位を落としたら、日本に帰らなくてはならない。どんな顔して会社(当時は日銀に勤めていました)の上司に説明しよう。同期に顔向けできない。。。みたいな。

当時、必須科目として勉強したマネージメントやマーケティング、ファイナンスの知識が多かれ少なかれ衆議院議員としての今の仕事を支えてくれている。いつの日か母校のクラスで後輩に実務経験を語れるよう、頭と体をしっかり使って、いい仕事をしていきたい。

政治を志したのは、幾つかの忘れられない出会いとオックスフォードでの学生生活があったから。留学時代の思い出については、また機会を改めて紹介します。



 最近の読書 2004-11-19 (Fri)

いま読んでいる本は、山本浩『決断の代償』と軽部謙介『ドキュメント ゼロ金利』。
前者はブッシュ米政権主導のイラク戦争に巻き込まれていく英国ブレア政権の苦悩、後者は未曾有のゼロ金利政策に踏み切った日銀執行部の苦悩をそれぞれ描いている。両作品からは、国家の命運を握る政策担当者の、人間味と強い当事者意識とを感じることができる。
合わせて少しづつ読んでいるのは滝沢隆一郎『内部告発者』。第1回ダイヤモンド経済小説大賞に輝いた新作で著者の滝沢さん(ペンネーム)は、麻布高校ESS(英語研究部)の先輩。
そのほか、榊原夏『岡田克也、父と子の野望』という本も読んだが、取材の粗さもさることながら、人物描写に奥行きがなく、がっかり。



 「台風23号の激甚災害指定」実現へ 2004-11-13 (Sat)

昨日(11月12日<木>)の衆議院災害対策特別委員会で、台風23号の激甚災害指定の見通し等について村田防災担当大臣に質問。「今月中に指定したい」との答弁を引き出すことができた。
続いて、林省吾消防庁長官にも質問し、災害情報を住民に一斉に知らせる防災行政無線の整備率向上の必要性を強調。極めて前向きで誠実なご答弁を頂いた。

詳しくは会議録をぜひご覧いただきたいが、本日の地元紙(山陽新聞)朝刊にも大きく報道されている。

質問の中では、岡山市久々井や玉野市の被災状況や、操明学区の自主防災の取り組みなどについても採り上げた。各地域の町内会長さんや消防団の皆さん、そのほかたくさんの方々との直接の対話の中で、出来上がった質問である。激甚災害指定の早期実現という成果を見ることができ、早速地域のみなさんに報告をしていきたいと考えている。



 当選から1年 2004-11-09 (Tue)

今日は、2004年11月9日火曜日です。衆議院選挙からちょうど1年が経ち、津村の代議士生活も明日から2年めに入ります。当選の夜は、深夜11時過ぎに小選挙区での落選が決まり、記者会見を求められて敗北の弁。何人ものスタッフが泣いてくれました。その後、30分ほどで比例当選の報。慌しかったけれど、本当に多くの方の温かい気持ちに包まれた夜でした。万歳と乾杯を手短に済ませ、呼んでくださった各放送局をまわって、インタビューを受けました。「若い力に寄せられた期待を、確かな信頼に変えていくのが私の仕事」。「自分よりも若い世代に政治への夢を与え、目標とされる政治家になりたい」。そんな抱負を口にしたのをよく覚えています。

1年というのは、振り返るにはあまりにも短い日々で、「この程度の仕事をするために衆議院議員になったわけじゃない!」という焦りに近い思いが胸を苦しくする毎日。その焦りが主な原因となって、数多くの方々にご迷惑をかけ、負担をかけてきました。功を焦って結果を急ぎすぎたり、情と知のはざまで優先順位を間違えたり、「若い力」の至らないところばかりが気にもなりました。去っていった支持者の方や仲間の顔も思い浮かびます。

最近まとめ書きすることが多くなった「代議士日記」は、ともすればこうした省みが先に立つ来し方を、確かな積み重ねとして振り返るための大切な材料です。日々の活動の淡々とした記録ではなく、その時その時の迷いや思いを書き残し、政治家としての活動に一本芯を通していくための「証言」にしていこうと思っています。だから読者の皆さんは、「証人」です。まとめて更新することも増えましたが、活動の幅の広がりとともに内容が濃くなっていることだけは自信があります。読者の皆さんにも感じていただけると思います。

昨日から今日へ日付が変わる頃、小学校時代からの友人H君が『あれから1年』と題した励ましのメールをくれました。その中にそのことを書いてくれていました。ホームページを読んで応援してくれている友達がいると思うと、日銀の新人時代に同期のK君らとよく歌った槇原敬之の『遠く遠く』を思いだしたりして、これからの1年も、その先も、もっともっと頑張っていきたくなりました。

ありがたいことに、仕事が毎日毎日増えていきます。今週は国会質問が3つあり、うち1つは当初金曜日の予定が、今日の夕方16時過ぎになって、急遽明日に繰り上がりました。信託業法改正案について、伊藤金融担当大臣に45分間の質問です。18時には金融庁へのレク(質問内容の事前通告)を終えて、同僚議員の当選1周年パーティーに顔を出してきました。その後再び議員会館に戻って、今、明日の質問内容の最終チェックをしています。役員室次長としての岡田代表の随行も場数を踏み、先週は地元岡山での防災訓練および災害ゴミ視察、銀座での新潟関連募金、週末の自衛隊観閲式と連日の登板でした。今週は党首討論の検証、来週は記者会見の司会役です。

おかげさまで、仲間もたくさん出来ました。もっともっと作っていきます。人は石垣、人は城です。名古屋市の南の外れで小学校時代を過ごしたせいか、少人数で大きな敵に立ち向かう時はいつも、桶狭間の合戦に臨む若き織田信長の気持ちになりますが、今年は信玄の人徳、経営力も身に付けていきたいと思います。

今日のところは、この辺で。


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2004/11

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